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住所:東京都新宿区若松町8-3
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はじめに:二つの視点から見るクリスマス
今宵、私たちは二つの「クリスマスの物語」を読みました。一つはルカが描く、ベツレヘムの馬小屋で起きた歴史的な出来事です。もう一つはヨハネが描く、天地創造の初めからある「言(ことば)」が肉となったという永遠の出来事です。一見、全く異なる記述に見えますが、この二つは一つの真実を指し示しています。それは、神の栄光が、私たちの最も暗く、貧しい現実に飛び込んでこられたということです。
飼い葉桶という「しるし」
ルカ福音書は、救い主の誕生が、皇帝アウグストゥスの支配するローマ帝国の片隅で、旅の途中の貧しい夫婦のもとに起こったことを伝えます。宿屋には彼らの泊まる場所がなく、神の御子は「飼い葉桶」に寝かせられました(ルカ2:7)。天使は羊飼いたちに言いました。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:12)。通常、神の栄光といえば、王宮や神殿のような輝かしい場所を想像します。しかし、クリスマスの「しるし」は、家畜の餌箱の中に無防備に横たわる幼子の姿でした。これは、神が私たち人間の最も低く、弱い場所にまで降りてきてくださったことを示しています。神は、私たちの苦しみや孤独、貧しさのただ中に、ご自身の居場所を定められたのです。
暗闇に輝く希望の光
ヨハネ福音書は、この幼子こそ「まことの光」であると告げます。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネ1:5)。 この御言葉は、私たちの魂に深く響きます。主イエスの恵みの光は、希望が一切なく、大きな不安が押し寄せる深い闇の中で、足が一歩も前に進まないような時においてこそ、一筋の希望として射し込んでくるからです。 世間の一般常識や周囲の人々があざ笑うような絶望的な状況であっても、主の光はそこを貫き、私たちの足元に力強い光の道を現してくださいます。この圧倒的な恵みの光に出会えたとき、私たちの信仰は力強くされ、もはやその光から顔を背けることなく、光を見つめて歩む人生へと変えられていくのです。
光について証しをするために
ヨハネ福音書には、もう一人、重要な人物が登場します。洗礼者ヨハネです。聖書は彼についてこう記しています。「彼は光ではなく、光について証しをするために来た」(ヨハネ1:8)。 彼は、自分自身が光になろうとしたのではなく、ただひたすらに、暗闇を照らす「まことの光」である主イエス・キリストを指し示しました。 私たちもまた、このクリスマスの夜に、光について証しをする者として招かれています。私たちの人生の暗闇に、主イエスがいかにして希望の光を灯してくださったか。その恵みの事実を、自分の言葉と生涯をもって証しすること。それこそが、光を受けた私たちの応答です。
結論
今宵、羊飼いたちが飼い葉桶の幼子を訪ねたように、私たちも心の飼い葉桶を空けて、このお方をお迎えしましょう。あなたの心の最も暗い場所にこそ、まことの光である主イエスは来てくださいます。そして、この光を受けた者として、私たちもそれぞれの場所で、光を証しする歩みを始めたいと思います。
祈り
愛と恵みに満ちた天の父なる神様。 暗闇のようなこの世に、まことの光である御子イエス・キリストを送ってくださり、感謝いたします。 主よ、あなたは希望のない深い闇の中に、一筋の光として来てくださいました。世の常識があざ笑うような状況でも、あなたは力強い道を切り開いてくださる方です。どうぞ今、不安の中で立ちすくむ私たちの足元を照らしてください。そして、洗礼者ヨハネのように、私たちもまた、あなたの光を証しする者として歩み出すことができますように。このクリスマスの喜びが、悲しみの中にある人々にも豊かに届きますように。 主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。