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説教題目

十字架の勝利─弱き者に仕える愛

日付

2026-03-22

御言葉

マルコによる福音書10章32節〜45節

はじめに
先週、皆様に東京信愛教会の新来者案内リーフレットの原稿をお配りしました。そこには、私たちの教会が「悩みや欠点のない立派な人」の集まりではなく、悩みや弱さを抱え、愛を必要としている人のための場所であると記しました。ありのままの姿で食卓を囲む「魂の野戦病院」としての歩みです。今日の聖書箇所に登場する弟子たちの姿は、まさにこの「欠けだらけの人間」の現実を残酷なまでに描き出しています。イエス様がエルサレムに向かう途上、「人の子は死刑の宣告を受け、あざけられ、十字架につけられて殺される」と、三度目の悲惨な受難の予告をされた直後のことです。

本論
イエス様がご自身の死を語られた直後、ヤコブとヨハネが「栄光をお受けになるとき、あなたの右と左に座らせてください」と願い出ました。彼らは、イエス様が王となって敵を倒し、自分たちも権力の座に就くことしか頭になかったのです。他の十人の弟子たちも腹を立てますが、それは「自分こそが一番偉い席に座りたかったのに」という自己中心的な怒りでした。神の子が命を捨てようとしておられるその横で、人間は「誰が一番偉いか」という自己愛の争いから抜け出せません。しかし、イエス様はこの愚かな弟子たちを見捨てず、こう言われました。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(45節)。新約聖書において、イエス様はご自身をよく「人の子」と表現されます。旧約聖書のダニエル書(7章13〜14節)では、「人の子」とは天の雲に乗って現れ、すべての民から「仕えられる」永遠の権威を持った栄光の支配者として預言されていました。当時の人々も、救い主とはそのような輝かしい勝利者だと信じていたのです。しかしイエス様は、本来ならすべての民から仕えられるはずの栄光の王(人の子)でありながら、あえて人間と同じどん底の現実にまで降りてこられました。そして、身代わりとなって一番下働きのように私たちに「仕え」、ご自身の命を投げ出したのです。世の中の「勝利」とは他者を蹴落として上に立つことですが、イエス様が示された「十字架の勝利」は全く逆でした。自己中心の罪から抜け出せない私たちのために徹底的に低くなり、命を差し出す愛によって、人間を縛る罪と死の力を打ち破られたのです。

結論
十字架の勝利とは、強い者が勝つことではなく、キリストの限りない愛が、私たちの醜い自己愛に打ち勝ったという勝利です。私たちは立派だから救われたのではありません。欠けだらけのままで、主がその命をもって買い取ってくださったのです。この十字架の勝利のゆえに、今日も私たちは安心して、ありのままの姿で主の食卓を囲むことができます。

祈り
天の父なる神様。私たちはヤコブやヨハネのように、自分の栄誉や損得ばかりを考え、誰が一番偉いかと心の中で争ってしまう自己中心的な者です。しかし主イエスは、そのような私たちを見捨てることなく、栄光の「人の子」でありながら私たちの最も深い弱さに寄り添い、罪の身代金となるために自ら十字架への道を下り、徹底して仕えてくださいました。どうか、私たちが自分の正しさを誇るのではなく、ただ私たちを買い取るためにご自身の命を献げてくださったキリストの愛にのみ拠り頼むことができますように。私たちの教会が、この主の愛によって生かされる「魂の野戦病院」であり続けることができますように。十字架により真の勝利を成し遂げられた、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

「もう、ひとりで抱えきれない」あなたへ。

安らぎたい。その願いは、新しく生きる種になる

これまでの人生への「行き場のない憤り」や、今の自分に対するやるせなさ。本当の安らぎを見つけたいと心が悲鳴を上げているのなら、そのままの姿で扉を叩いてください。ここは「立派な人」の場所ではなく、弱さを認め、重荷を分かち合いたいと願う人のための場所です。

私たちはここを「魂の野戦病院」と呼んでいます。傷ついたままの心で「食卓」に加わってください。初代の上村牧師は、どんな心の内にも決して汚されない尊い「神の子の種(人格)」が宿っていると信じたのです。礼拝は、その種を共に慈しみ、自分らしさを取り戻すための大切な時間です。

日曜日10時15分からの主日礼拝では、10時までのご着席をお勧めしています。15分間の静寂が、内なる「種」と対話し「神の愛」を受け取る豊かな準備となるからです。礼拝中の声や動きも、飾らない人間たちが「神の愛」の前に集う、ありのままの「いのち」の鼓動です。

服装はジーンズ等の普段着で、手ぶらでお気軽にお越しください。聖書等もお貸しします。献金は「神の愛」への感謝を表す自由なもので、強制ではありません。重荷を少しだけここに置いてみませんか。安心してお越しください。

※当教会は、統一協会(世界基督教統一神霊協会)、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)、モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)とは一切関係ありません。

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