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はじめに
主イエスは弟子たちと共にフィリポ・カイサリアの地方へ向かう途中、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」、そして「あなたがたは、わたしを何者だと言うか」と問いかけられました。ペトロは弟子たちを代表して「あなたは、メシア(救い主)です」と見事に答えます。しかし、この素晴らしい信仰告白の直後、イエス様は弟子たちの期待を根底から覆すようなことを語り始められました。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日後に復活することになっている」(31節)。これが、福音書においてイエス様が初めて語られた「受難の予告」です。
本論
この言葉を聞いた途端、「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた」(32節)と聖書は記しています。なぜペトロは、師であるイエス様をわきへ連れて行き、抗議し、いさめなければならなかったのでしょうか。それは、ペトロが思い描いていた「メシア」とは、力と栄光に満ちた勝利者であり、自分たちをローマ帝国の支配や苦しい現実から解放してくれる「強い英雄」だったからです。苦しみを受け、人々に捨てられ、惨めに殺されてしまう無力な救い主など、彼の頭にはありませんでした。私たちはこのペトロを笑えません。私たちもまた、神様に対して「私の人生から苦労や病気を取り除き、願いを叶えてくれる、強くて便利な神様」であってほしいと願っているからです。自分の思い通りにならない現実を前にすると、「神様がいるのになぜこんな目に遭うのか」と不満を抱き、時に神様を「いさめよう」としてしまいます。それが「人間の思い」の現実です。これに対し、イエス様はペトロを厳しく叱られました。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(33節)。愛する弟子をサタンと呼ぶのは冷酷に聞こえますが、実はこれこそが深い恵みの言葉なのです。もしイエス様が人間の思い(期待)に応えて、苦難を避けて華々しい勝利の道を歩んだなら、どうなるでしょうか。それでは、病や死、罪という暗闇の底でうめいている私たちの現実を、根本から救い出すことはできないのです。「神の思い」、すなわち真の救いとは、神ご自身が人間の最も深い絶望、捨てられる悲しみ、そして死の苦しみのただ中に降り立ち、それを御身に引き受けることによって成し遂げられます。イエス様は、私たちが求める表面的な解決ではなく、ご自身の命を投げ出す十字架の愛によって、私たちの根源的な罪と死を打ち破ろうとしておられるのです。
結論
「サタン、引き下がれ(わたしの後ろに下がれ)」という言葉は、イエス様の歩みを邪魔するなという叱責(しっせき)であると同時に、「もう一度、弟子としてわたしの後ろに従ってきなさい」という招きでもあります。受難節の歩みの中で、私たちは自分の都合の良い救い主像を打ち砕かれます。しかしそこに現れるのは、私たちの罪と弱さを背負い、私たちのために十字架の苦しみを引き受けてくださる、人間の思いをはるかに超えた愛なる救い主の姿です。この主の背中を見つめ、感謝をもってその後ろに従って歩みましょう。
祈り
天の父なる神様。私たちはペトロのように、自分の願いを叶え、苦労を取り除いてくれる「便利な神様」を求め、自分の思い通りにならないとあなたを疑い、いさめようとしてしまう弱い者です。しかし主イエスは、そのような私たちの身勝手な思いを退け、私たちを真に救うために、ご自身が苦しみを受け、十字架にかかるという「神の思い」を貫いてくださいました。どうか、私たちが自分の浅はかな思いを十字架の前に降ろし、私たちのために苦難の道を歩み抜かれた主イエスの深い愛に気づくことができますように。私たちの弱さを担う真の救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。