電話:03-3359-9539
住所:東京都新宿区若松町8-3
最寄駅:大江戸線「若松河田駅」より徒歩3分
はじめに
主イエスのもとに群衆が集まる中、律法学者たちは「彼はベルゼブル(悪霊の頭)の力で悪霊を追い出している」と非難しました。ベルゼブルとは当時、サタンを指す呼び名でした。彼らは、イエス様が人々を解放している聖霊の御業(みわざ)を見ていながら、それを「悪魔の力」だと決めつけたのです。
本論
これに対しイエス様は、「どうしてサタンがサタンを追い出せようか」と反論されます。国も家も、内輪で争えば立ち行かず滅びてしまいます。イエス様が悪霊を追い出しているのは、サタンと仲間だからではなく、敵対し、打ち倒しているからです。ここでイエス様は「強い人」のたとえで語られます(27節)。「まず強い人を縛り上げなければ、その家を略奪することはできない」。この「強い人」とはサタンのことです。私たちは自分の努力でこの強い人に勝とうとしますが、それは不可能です。小学校から中学校に上がる際、私はいじめに遭わないように自分の身を守るために、部屋にサンドバッグを吊るし、10キロのダンベルで筋トレに励みました。腕力をつければ自分を守れると思ったからです。しかし、やがて悟りました。どんなに鍛えても、世界には自分より強い者がわんさかいるのです。私はある意味で「敗北宣言」をしました。自分の腕力では、本当の意味で自分を守り切ることはできないと知ったのです。それ以来、私は自分の腕力ではなく、聖霊の力に依り頼むようになりました。なぜなら、霊的な戦いにおいても、私たちは自分の力だけで「強い人(悪)」に勝つことはできないからです。イエス様は「もっと強い方」として私たちの人生に踏み込み、サタンを縛り上げ、私たちを解放してくださるのです。律法学者たちは、この聖霊の働きを「汚れた霊」と呼び、拒絶しました。これこそが「聖霊を冒涜する罪」であり、赦しを自ら拒む行為です。しかし私たちは違います。自分の弱さを認め、聖霊が自分に内在してくださるように、イエス様を信じて歩むのです。
結論
かつての私が腕力の限界を知ったように、私たちは自分の正しさや強さの限界を認めましょう。私たちが悪に勝てるのは、私たちが強いからではなく、イエス様が私たちの代わりに戦い、勝利してくださっているからです。受難節の歩みにおいて、自分の強さを誇るのではなく、「強い人を縛り上げる」主イエスの圧倒的な恵みと、聖霊の守りに信頼しましょう。
祈り
天の父なる神様。私たちは、自分の身を自分で守ろうと必死になり、力んで生きてしまう弱い者です。しかし、どれほど鍛えても、私たちは罪や悪の力、死への不安という「強い人」には勝てません。あなたは、「もっと強い方」として来てくださり、私たちを縛るものを断ち切ってくださいました。どうか今、私たちが自分の腕力ではなく、あなたの聖霊の力に拠り頼むことができますように。悪と戦い、私たちを自由にされた主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。