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住所:東京都新宿区若松町8-3
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はじめに
夕暮れ時、イエス様は弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われ、舟を出されました。ところが、湖の真ん中で激しい突風が起こります。波は舟に打ち込み、今にも沈みそうな危機的状況となりました。弟子たちの中には漁師もいましたが、彼らの経験や技術が全く通用しない「死の恐怖」が襲いかかります。彼らは眠っているイエス様を揺り起こし、「先生、わたしたちが溺れても、かまわないのですか」(38節)と叫びました。この叫びは、単なる恐怖ではありません。「私たちはこんなに苦しんでいるのに、あなたは沈黙しているのですか。私たちを見捨てているのですか」という、神に対する疑いと絶望の叫びです。
本論
私たちの人生にも、予期せぬ嵐が襲います。自分自身の病や苦難、あるいは大きな震災や災害に直面したとき、私たちは神に向かって叫ばずにはいられません。「神様、なぜ黙っているのですか。なぜ助けてくれないのですか」と。遠藤周作の小説『沈黙』では、過酷な迫害の中で、神が沈黙し続けていることに苦悩する司祭の姿が描かれています。しかし、物語のクライマックスで、イエスはこう語りかけます。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」。今日の箇所でイエス様が眠っておられたこと。それは、弟子たちの苦しみに無関心だったからではありません。イエス様は、安全な岸辺から高みの見物をしていたのではなく、まさに弟子たちと同じ舟に乗り、同じ激しい波に打たれ、同じ恐怖のただ中に身を置いておられました。主が嵐の中で沈黙しているように見えるとき、主は私たちを見捨てているのではありません。主は、私たちの最も深い悲しみや痛みを、ご自分のものとして引き受け、共に震え、共に苦しんでおられるのです。「同船者」としてそこにいてくださる、この痛ましいほどの連帯こそが、神の愛の極みなのです。目を覚まされたイエス様は、「黙れ、静まれ」と嵐を一喝されました。この奇跡は、主が共に苦しむだけの無力な方ではなく、最終的にすべての混沌を静め、勝利をもたらす権威ある方であることを示しています。
結論
私たちは「苦しみがなくなること」だけを奇跡だと考えがちです。しかし、本当の奇跡とは、どんな嵐の中にあっても、天地を支配する主イエスが、私たちと同じ舟に乗っていてくださることです。嵐がすぐに止まない夜もあるでしょう。神が沈黙しているように感じる日もあるでしょう。しかし、主は決してあなたを見捨ててはいません。主はあなたの隣で、その痛みを分かち合っておられます。やがて来る「静まり」の時を信じて、沈黙の中におられる主を信頼しましょう。
祈り
天の父なる神様。人生の激しい嵐や、理不尽な災害のただ中で、私たちはあなたの沈黙を恐れ、「かまわないのですか」と叫んでしまう弱い者です。しかし主イエスは、沈黙の中で私たちを見捨てているのではなく、私たちの苦しみを我が事として背負い、共に嵐の中にいてくださることを感謝します。どうか、今も苦しみの中にある人々の隣にあなたがいてくださいますように。私たちが、共にいてくださる主の涙と愛に気づき、やがてあなたがもたらしてくださる平安を信じて、今日を歩み抜くことができますように。嵐を静め、共に苦しんでくださる主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。