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説教題目

預言をする力の賜物

日付

2023-08-13

御言葉

Ⅰコリ12章8~11節

預言をするという賜物を受け入れることは、これまで考えられない風潮が教会の中にあった。海外では預言訓練セミナーなどがあったが、日本では受け入れがたく冷たく拒否されたものだった。しかし21世紀になるともはや何でもありの時代状況となって来ている。
1 預言は神からのもの  
 預言が神からのものであるが、信仰において未熟な場合、預言は理解しにくい。そればかりか聖霊の賜物である預言のギフトが真に与えられている人がいるかどうかも問われ。にもかかわらず、そのような命の枯渇した様な時代であればこそ、「愛を追い求め、霊的な賜物、特に預言をするための賜物を熱心に求める」(Ⅰコリ14・1)ことが望まれる。Ⅰコリ12・8~11にも聖霊の賜物として「預言をする力」が示されてる。
 「予言」と「預言」は基本的に異なる。「予言」は先に起こることを「予告し、あらかじめ告げる」ことであり、「預言」はだれかの言葉を「預かって話す、代弁する」ことだ。聖書で言う預言は、私的な解釈ではなく、神から来る言葉を代弁することに過ぎない。ぺトロはこう告げている、「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(Ⅱペト1・20~21)。
2 預言を受ける方法
 預言を直接受ける方法と、預言を受けた人から預言を受け取る方法とがあるが、初めの一歩は、神がありのままの自分を受け入れてくれること信じることである。全能の神は、信頼する者は万事を益としてくださことを認めねばならない。「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ロマ8・28)。受ける預言は、始まりにすぎず、主なる神の計画に加わって共に生き、明確に具体的な預言の内容が見えて来る。よって焦ることなく、聖書の言葉を読むこと通じて、いま告げられている事を示され、与えられた状況の中で希望を抱いて待ち望むことである。イエスはこう告げている、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハ14・1)。
3 預言から得られるもの
 預言は、神からの励まし、慰めであり、勇気と希望を与えるものである。不安を与えたり、否定するためのものではなく、誰もが元気になるものである。よって受けることを怖れることはない。もちろん偽預言者が間違った動機や教えをないわけではない。旧新約両時代にも、そして現代にも自分の言葉を神の言葉だと自称する人はいるが、聖書の言葉を語っているかどうかが、見分ける基準でもある。現代の説教者もまた預言者としての働きをしているが、与えられた聖句もまた主の導きに従って選定しているはずだが、不適切な場合もなくはない。しかし、①徳を高め、②勧めをなし、③慰めを与え、④罪を示し、⑤予告を宣言するという働きがあれば説教として生かされている。とくに「聖書がこう言う」というように語り、誰それはこう言っているというような権威(物事の根拠)を神に置くのでなく人に置くようなことは避けねばならないであろう。栄光はすべて主に。「主は栄え、われは衰える」と語った洗礼者ヨハネに学ぶべきである。
 さて預言によって何が与えられるのか。その主要な事柄は以下の如くである。
①いやし サタンの攻撃にあって弱り果て、傷ついている人々をいやし、回復させる。
②啓示 啓示によって問題の領域や取り扱うべき領域を明示される。知るべき内容を気づかせてくれる。
③希望 自分の視野に入っていなかったことや、諦めいていたことが示され、チャンスがあるならやってみようという意欲が与えられる。
④愛と感謝 神の愛の豊かさを実感し、実践する決意が与えられる。そして様々な関係に感謝できるようになる。
⑤勇気 目に見えないものに目を留め、勇気が与えられる。神の教導がわかり信頼して生きていくようになる。
 預言者としての働きは、人に方向を与え、訂正し、神の裁きや祝福を宣言し、働きのための油注ぎを与えるが、欠かすことができないのは「謙遜」である。それには時間と過程が必要となる。多くの試練や葛藤を経験を通過することによって人間性が高められねばならない。「この世と調子を合わせず」(ロマ12・2)神からの思いと印象を受けて忠実に伝えることが望まれる。貪欲に自分の解釈に曲げるようなことなく、できるだけシンプルに、忠実に言葉にすることが大事である。言葉は表現の仕方で多少の誤差があるが、あまり聖書の本文からずれることのないように注意して預言すると良い。こじつけたり勘繰りをしたりしないことだ。人を見て、そのひとの風体などの印象で預言をする、それらは人を不安に追い込んでしまう。よって、誤解を受けないように注意して預言を語って欲しいものである。どうか預言の賜物を軽んじないように、追い求めてほしい。

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