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自分の知った信仰を人にいかに伝えるために多くの人は苦労している。キリストについて話すことは想像以上に難しい。まずどうして信仰を持つようになったかを三分で話せるように内容を考えてみる。筋道の通った仕方であるかどうかを試してみることである。
1 出会った人に話してみる よく祈って、大胆さが与えられ、話す機会をうかがって、初めて出会った人に信仰やキリストについて話そうと切り出してみる。例えば路傍伝道で試みてみる。たまにはうまく話が進みことがあるが、ほとんどの場合、丁寧に断られ言葉をる。忙しいのでと断る人もいる。しつこく話すと怒り出す人もいる。こうして期待外れに終わって、あまり試みなくなる人が多い。このような伝道のアプローチは、賜物のある人には適しているが、話下手や引っ込み思案の人には適していない。
2 二つのアプローチ方法 コロサイの信徒への手紙の結びで、パウロは、伝道者や使徒的働きをする人(アウトサイダー)と世の中にあちこちでつつましく生きている人(インサイダー)の伝道のアプローチの違いをはっきりと区別している。こう書いている、「祈りに飽いてはいけません。熱心に祈り続けなさい。神が祈りに答えてくださると信じて待ち、それが聞き入れられたら、感謝するのを忘れてはなりません。また、私たちのことも忘れないでください。キリストの良い知らせを伝える機会が多く与えられるように、祈って欲しいのです。この良い知らせのために、いま私は投獄されているのです。」(コロ4・2~3、リビングバイブル訳)。
これはパウロの通常のパターンで、福音を人に聞いてもらうために、機会をとらえること、機会が与えられることを祈っていることが最大の関心事である。聴衆が気に入るかどうか、その結果、獄に繋がれるどうかは問題ではなかった。しかし、コロサイの信徒たちには、こう言っている。「与えられた機会を最大限に生かして、あなたがたも、この良い知らせを人々に伝えなさい。彼らとは、いつも賢く慎重に接しなさい。あなたがたの会話が、良識的であり、善意に溢れるように心がけなさい。そうすれば相手の一人一人に適切な答えができます」(同5~6)。世の中にあちこちで生きているインサイダーとしての信徒の伝道アプローチで、パウロが考えたことは、生き方、行動であった。与えられた機会に適切な行動で応じるべきなのだ。そのとき、語る言葉は良識的で善意溢れた塩で味付けされた一言となる。それであれば一口で終わらない。また食べたくなる。つまり人がまた聞きたいと思うように自分の信仰を語りなさい、とパウロは言いたいのだ。
また聞かれたらすぐに答えられるように準備しておけというのである。
証しとは、自分の伝えたい福音を他の人に伝えればいいのではない。それでは営業でする売り込みのようなものであって、塩味の効いた言葉を差し出す方がよい。
3 好奇心の刺激 フィリポは、友人のナタナエルに出会って言った。「わたしたちはモーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」。すると好奇心を刺激されたナタナエルは、「ナザレ?」と聞き返した。「ナザレから何の良いものが出るだろうか」と懐疑的であったので、「来て、見なさい」と告げた(ヨハ1・46)。ナタナエルの性格上、好奇心をくすぐれば自分で確かめると思ったのである。このフィリポの役割がインサイダーの信徒の伝道アプローチである。人がキリストを知りたくなるように好奇心を刺激するのである。熟練した伝道者である必要はいらない。形式ばらない会話によって伝道の機会を最大限に生かすのである。このように気の利いた言葉を投げかけるだけで、探究心を引き起こすのである。
4 良識的で善意に溢れる言葉 会話の扉は常に開かれてあると進んで話が深まっていく。それには信頼関係が土台となる。人との会話では、もめごとや金銭問題や病のことなどが話題となりやすい。その時聖書の気の利いた言葉、良識的で善意に溢れる言葉を紹介すると、それが話の次の展開をもたらすことが多い。力んで神について語るよりも話が豊かになる。すんなり相手の声に耳を傾け、なんとなく受け入れてしまう。多くの場合、うなずいてはいてもうわの空ということがある。こころが伴わずに頷いたりしている。したがって聞いているようで聞いていないことが多い。それゆえに話がかみ合わない場合が多い。いくら信仰の大事さを語っても非キリスト教徒は信仰が重要とは思わないのだからうわの空も当然である。それどころか考えを押し付けられるようで抵抗しているのが心の中である。そこで心の底から「行って、見たい」と願い出るまでアプローチは慎重でなければならないのである。それには聖書の体面する機会を待つ事である。聖書を読みたくなるような必要がどうしても必要である。いま日本のルーツを研究しようと聖書を題材に勉強会を始めている人が多くいる。ある知人は「虎(トーラー)の巻研究会」を始めているが、モーセ五書には日本の文化が解明の鍵が満ちていると調べている。同じ関心のある神道人や仏教徒もその文化的観点から聖書のアプローチするのはインサイダーの手法の一つでもある。聖霊がキリストへと誘ってくれ、キリスト信仰へと決断を迫ってくるのである。