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説教題目

聖霊による知恵の賜物

日付

2023-08-06

御言葉

Ⅰコリ12・8、黙5・12

 世界各地でリバイバルと呼ばれる聖霊による信仰復興がなされているということを聞く。それは何らかの理由で命の成長がそこなわれているときに、再び聖霊によって生かされる者となることである。健全に成長しているならリバイバルなど必要ないのであり、あまり嬉しいことではない。カリスマ(神の賜物)運動とも呼べる現象だ。
1 聖霊の賜物  聖書では、「あなたのうちにある聖霊の賜物をかろんじてはいけない」(Ⅰテモ4・14)、「あなたのうちにある神の賜物を、再び燃え立たせなさい」(Ⅱテモ1・6)、「神からくださる賜物は、わたしたちの主イエス・キリストにある永遠のいのち」(ロマ6・23)と規定している。賜物は、無代価の神からのギフト(贈り物)なのだ。厳密には、生まれつきの能力もカリスマのひとつには違いない。しかしⅠコリ12章で取り上げられるの「聖霊の賜物」で9つ挙げられている。①知恵の言葉、②知識の言葉、③信仰、④いやし⑤奇蹟、⑥預言,⑦霊を見分ける力、⑧異言、⑨威厳を解き明かす力である。しかし、ある人は、これは今や「すたれた」と主張する、その根拠に「預言はすたれ、異言はやみ」(Ⅰコリ13・8)を挙げるが、同じ個所に「知識はすたれる」とあるので、そのような主張も聞く意味もなくなくなってしまう。成熟した完全なものが来るとき消滅するでしょうが、未熟な者にとって助けとなるゆえに、パウロは、愛を追い求めると同時に「霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」(Ⅰコリ14・1)と教えたのであった。
2 知恵の言葉  ある人には聖霊の現われによる知恵の言葉が与えられる。ステファノは「知恵と御霊によって語った人」(使6・10)であった。エルサレム会議でのペトロやヤコブの発言は、聖霊に導かれたのだとであったが、ヤコブの表現は「わたしはこう判断します」(使15・19)となっていて、「状況判断」と「聖書からくる判断」との両面に、主の支配があったことを示している。その決議文は「聖霊とわたしたちは次の必要事項のほか、いかなる重荷も負わせないことを決めた」(使15・28)と書き、判断と決断が聖霊によったものであると明示した。神の知恵が現わされるときに、正しい健全な判断がなされ、人を生かし、状況を適格に把握するのだ。そしてヤコブは「知恵に欠けている人は神に願い求めなさい。そうすれば与えられる」(ヤコ1・6)と約束する。海外宣教の父と呼ばれる宣教者ウィリアム・カレーは、協力者(宣教団体)であったアンドルー・フラーに語った言葉は知恵の言葉そのものだった。「わたしはインドに金鉱を(人々の譬え)掘りに行く。君は国にとどまって綱(支援の意味)をもっていてくれたまえ」。適切な知恵の言葉を語り、健全な判断をもって、互いに訓戒し合うように備えられるには、聖霊の導きによる必要がある。知恵の言葉は、詩編119・98に「あなたの戒めは、わたしを敵よりも知恵ある者とします。それはとこしえにわたしのものです」とあるように必ず主の教えに同調するはずだ。
3 聖霊の導き わたしたちは5つの判断のために常に聖霊の導きを祈り求めねばならない。①価値判断、②状況判断、③善悪判断、④優先順位、⑤導きの判断に対してである。イザヤ書にあるように「これが行くべき道だ、ここを歩け。右に行け、左に行け」と背後から語られる主の声に聞かねばならない(イザ30・21)。このような主の声を聞く訓練を身につけないと、確信をもって歩くことはできないのあって、が与える知恵によって生活と奉仕をするの恵みである。
 人生は「判断」と「決断」で変わって行くものである。そのために適切な助言を求め、占い師のもとに行く人もいるが、わたしたちは全能なる神のもとに行き、知恵の言葉を頂き、賢い判断を持ちたいものだ。歩とンは将来がわからないのでうっかり占いに手を染める人も多いが、これは危険なことだ。神の嫌う事柄を信じて呪われないとは限らなからだ。聖霊が教えてくれる知恵にしたがって健全な判断をなし栄える者となって欲しい。詩編にこうある、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繫栄をもたらす」(詩1・2~3。

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