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説教題目

神による評価に心を向ける

日付

2023-09-10

御言葉

イザヤ書43章1~6節

 困った人を見ても「自分には何もできない」と言う考えにとらわれている人があまりにも多いように見受けられます。
1 自己肯定の大事さ  それは、しばしば自分を他人と比べているからではないでしょうか。わたしはわたしでしかありません。それ以上でもそれ以下でもありません。それで良いではないでしょうか。その自分をそのまま愛し、肯定することが大切です。多くの人は、成長の過程で、ありのままで受け止められずにおります。子どもの頃から家族の中でさえ兄弟姉妹の間で比較されて、褒められるよりもけなされることが多く、否定され、叱られ、いじめられ、攻撃され、侮辱され、笑われるなどして育つことが何と多いこと思われます。そのため委縮し、絶えずおどおどしたり、いつも遠慮するようになります。願いがあってもいつも後回しにされ、待たされるからです。しかし聖書には主の目に「あなたは高価で貴く」愛されているとあります(イザ43・4)。VIP(Very important Person)なのだという事実に目を開きましょう。
 人が人に対して持つ価値評価はいつも変わりますし、不当なことがしばしばです。ですから、人による評価よりも神による評価に心を向けましょう。愛されているという思いの中で安息することです。そして自分で自分を褒めることが出来る点を認めることです。そして自分がいま必要としている願いを列挙してみることです。突拍子もないことがあるかもしれませんが、思いつくままに挙げて見ることです。
2 カリスマを受けよ  預言者サムエルはサウル王に「主の霊があなたに激しく降り、預言する状態になって別人のようになる」しるしを受けたら、「しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです」(サム上10・6)と勧めたように、遠慮や自己制限をやめて発想することが、霊の賜物を受けカリスマとなる第一歩です。そのとき一番良い時に、一番良い場所で最適な道が開かれます。またあわてず優先順位を考えて、色々なことが出来る時に、何を先にすべきかを考えることです。その時使命意識も義務感も気づかされカリスマが与えられる条件が整います。そこで祈るのです。より優れた御霊の賜物を追い求めるのです。主の霊に満たされ、用いられるようになることを願い祈るのです。「主よ、自由自在にお用い下さい」「聖霊に賜物を与えてください」と祈っていくと、主は適切に現れ、賜物を与えて、ご自身の働きのために用いてくださるようになります。求めないうちに「これがダメだろう」などど決めてかからないことです。ものが紛失した、病んだ場合でも、自分のためであっても祈ることです。主はきっと、わたしたちが御自身にとって用いやすい器と成るのを待っておられるのでしょう。よって賜物があるかないかを論ずる前に祈ることです。不思議な奇蹟が次々に起こってくるはずです。

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