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『本当のクリスマス』(燭火礼拝)

2018/12/24

 

 クリスマスを祝う、集会のチラシを見た青年は言ったそうです、「教会でもクリスマスをするのですか」と。クリスマスの本当の意味がわからない人が多くおります。2018年は様々な災害が発生した年でしたが、このような時代の中で迎えるクリスマスとは何なのでしょうか。

 

 1 イエスの誕生

 

   クリスマスは救い主イエスがお生まれになったことを記念する時です。クリスマスの語源はキリストの礼拝のことを意味します。ではなぜイエスが生まれたのでしょうか。

  使徒パウロは『ローマの信徒への手紙』の8章3節で、「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。」、と告げています。神は人間が陥った罪を糾弾し、断罪するのではなく、人間の「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断された」、というのです。そのために「罪深い肉と同じ姿」になられた。それが、人間を救う方法だったというのです。 かくして、罪と死から解放し自由を与えてくれた。罪の故に、神の祝福が受けられなくなっていたことを解決された。ここに救いがあり、クリスマスはその祝いの日という訳です。


2 イエスは神の御子

   ではイエスとはどのようなお方であったのでしょうか? 古来、イエスは神であると同時に人であると言われてきました。イエスの神性に重きを置く正統派のアタナシウス派とイエスの人間性を重視した異端のアリウス派がありますが、いずれにしても、彼らは「神は人となった」と考えました。神が人となるとは言え、百%人間になったわけではなく半分は神の子であり、いわゆる神人です。イエスはおとめマリアから聖霊によって懐妊し、被造物としての人間でないので、罪への性向を持っていないというのです。悪に感染することは受肉の段階で遮断されたゆえ人間の側に立っていると言うより、神の側に立っているのです。
 人間は本来、善悪両面を備えているのが普通の人間です。天使のような側面とサタンのような側面を持つ、二律背反的存在です。ですから、その意味で、イエスには普通の人間となる道が閉ざされていました。このようにキリストの人間化が不十分であったことを認めないわけにはいきません。なぜならキリストは罪や悪を持っていなかったからです。それゆえに私たち普通の人間の身代わりになって十字架にかかり、罪を取り除いてくれることができたのでした。ですから、この神の人間化を感謝し、祝うのが教会のクリスマスという訳です。

   こうして私たちはイエスと言う天からの贈り物をいただき、罪からの自由が与えられ、更に聖霊と言うキリストの霊が私たちの心の内側に注がれ、神の人間化の繰り返しが繰り広げられるのを経験するのことができるのです。聖霊が人間の中に宿るのは、神が被造物である人間の中に懐胎されのと同じです。これは一粒の麦が死んで、多くの穀粒が増殖するのと同じで、聖霊が多くの人に注がれるのは神の受肉の増殖と継続です。

 

3 なぜ神は人間の姿をとったのか

 

   クリスマスにキリストを礼拝するにしてもなぜ神が人の姿をとった理由がはっきりしなければなりません。なぜなら人間を罪から救うために、万能の神がそのような七面倒な手続きをとらなくてもよかったのではないか、単純にただ教えるだけでよかったからではないかと思うからです。なぜわざわざ神は人となり、いったん人間となった子を十字架で殺すという面倒な手続きが必要だったのか、と考えるからです。

  このことは、アタナシウウスなどの正統派が説明するのとは別に、深い心理的な意味が潜んでいるのではないかと見ます。

   『ヨブ記』においてヨブは神の非道を訴えています。神はサタンの誘いに乗って、全知の神なら試してみる必要もないのに彼の忠誠を試すと称して数々の無法をヨブに仕掛けます。しかも神はヨブの抗議に対して力ずくで屈服させます。神は「義の神」と思い込んでいたヨブはなんだかわからなくなり恐怖を感じます。暗黒体験を持つのです。ヨブが見たのは神の暗黒面で、正義の神、愛の神などといった触れ込みとは似ても似つかぬ恐ろしい悪の側面でした。それに対して無力を自覚したヨブは自省をもとに認識の光を持つのです。ヨブは苦しみを通して、神は正義でなく力をもって支配しているという事実を知ったのです。表向きはヨブが神に力でねじ伏せられるのですが、道徳面ではるかに神よりも優れていることに神は気づき、人間の水準まで追いつかねばならぬことを知ったのです。被造物が神を追い越した。だからこそ神は人間に生まれ変わらなければならなかったのです。

   神の暴君性に耐えられなくなっていた人間の心が、愛の神のイメージを求めていたのであり、それが人の心の中に現れたところにイエスの誕生物語が成立したと言えます、これは「神のイメージの変化」です。

  旧約聖書の怒りと裁きの神から新約聖書の愛の神への変化がみられるのはこういった理由によると言えます。 つまり、暴君であった絶対者の神は、いかなる無理難題や不条理に対しても従う、謙遜な人間の姿を見て感化され、この麗しき人間を通してのみ神の都を打ち立てようとされたのです。そこで神は七面倒な手順を経て、人と成り、十字架にかかり、復活し、天に昇り、聖霊として来られ、人間を通して神の子を増殖、拡大し神の国を生み出そうとしているのです。

 

適用

 

   神が人と成られたことは神の人間化の意味を持っていますが、同時にそれは、「人間の神化」をも意味します。神の子にまでなると言うことです。人間が神になると言う意味まで含まれ、「神の子」とされるのです。聖霊が内住すると、聖霊のドライブを受け、神の子としての道を歩む、つまり「命と霊の法則」を歩み、私たちを通して神は大いなる業をなそうとしているのです。そしてその道を行く私たちには、神の祝福が与えられるのです。この世のすべての災難や不合理な出来事を超越して、神の決定となした働きを受け入れ、感謝し、いかなることに対しても楽しめる信仰を育てたいものです。

                        メリー・クリスマス & ハッピー・ニューイヤー

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