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「聖書の学び方」

2018/11/04

 

   まじめなキリスト者であれば、誰でも神のことばに無知であるべきではありません。聖書は神の啓示で、意思伝達の手段でもあります。よって神の語りかけは聖書のことばを学ぶことによって親しむことができます。聖書は神が過去においてなされたすべてのことを私たちに啓示しており、それによって神が人々をどのように導かれたかを実際的に知るからです。豊かな供給を得るためにも、神のことばを豊かに貯えて、神が今お語りになりたいことばを聞き、どのように過去に働かれたかを知る必要があります。

    いかに聖書を学ぶかは、四つの基本原則があります。第一に事実を再発見する、第二にみことばを記憶する、第三にみことばを分析し、推察し、比較する、第四に神からの啓発を受けることです。事実の発見、記憶、分析・比較・推察、啓発の順に学び、養われていきます。聖書を学ぶ人は、神のみまえに注意深くなければなりません。

 

 1比較法

 

    ある単純な例を挙げ、比較法を学びましょう。新約聖書はただ「主にあって」「キリストにあって」「キリスト・イエスにあって」という用語を数多く用いています。決して「イエスにあって」とか「イエス・キリストにあって」とは言っていません。これが事実の発見です。ではなぜ「イエスにあって」とか「イエス・キリストにあって」は用いられていないのでしょうか? 「イエス」とは、神が人と成り地上でもっておられた名前でした。「イエス・キリスト」とはこのイエスがやがてキリストになられることを意味します。「キリスト」(メシア)は復活されて、神により油注がれた後に与えられた名前です。「だから、イスラエルの全家は、はっきりと知らなくてはなりません。

      あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシア(キリスト)となさったのです」(使徒2章36節)。それ故にキリストは、イエスの復活の名前です。私たちは復活のキリストの中にあるのですが、決して復活前のイエスの中にあるのではありません。イエスが死んで死人のうちからよみがえられた後に、その復活において結合されたのでパウロは「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれた」(Ⅰコリント1章30節)と言っています。復活において神はご自身の霊によってイエスをキリストとされ、私たちと結合させたのです。このように聖書の事実を発見できるかどうかによって、人は神のことばの伝達者になれるかがかかっています。事実とはあらわに突き出して山頂のようなものです。


 2 分析法

 

   次に分析法へと移ります。パウロは事実を発見することにより神からの光を受けました。聖書研究の基本的原則は事実を発見することで、多くの章を読んだとか、多くの聖句を暗記したとかということではありません。パウロは『ガラテヤの信徒への手紙』3章において、創世記を読んで発見したのはアブラハムへの神の約束、すなわち「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」(創世記22章18節)の中で、「子孫」は単数であって、複数ではないこと、それゆえにキリストを指しているという事実を発見しました。そしてこう記しました、「アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して『子孫たち』と言われず、一人の人を指して『あなたの子孫とに』と言われています。その『子孫』とは、キリストのことです」(ガラテヤ3章16節)。人が神のことばに富む者となるか否かは、多くの事実を発見する能力に依存しています。

 

3 演繹法

 

  次に演繹法を例にとってみましょう。神は「あなたはいかなる像も造ってはならない」(出エジプト20章4節)と言います。イスラエルの民が金の子牛の像を造ったために彼らをさばきますが、神は彼らにケルビムの似像を造ることを命じました(出エジプト26章31節)。ケルビムは人の顔も持っています(エゼキエル1章10節)。では何で神は像を造るのを許したり、禁じたりしているのでしょうか。神は矛盾しているのでしょうか。そこでケルビムが何を指しているのかを見なければなりません。ケルビムは至聖所と聖所を分ける垂れ幕に織り出されたものでした。ヘブライ人への手紙10章20節では、「垂れ幕」は、キリストの肉体を予表し、イエスご自身を意味しています。言い換えれば、神の似姿である方以外はすべて偶像なのです。神が「ご自身にかたどって人を造られた」(創世記1章26節)とあるのは、26節では「われわれに似せて」と複数ですが、27節では「ご自身に」という単数になっています。このように複数代名詞から単数代名詞に移っていることを注意しなければなりません。それは、神はたった一人の人格だけが似像をもち、その人格とはキリストであることを啓示しています。これらを結合して、神はただ一つの似像である御子以外の全ての似像を棄てられていると結論します。

 

適用

 

   終わりに聖書は毎日系統的に読まれ神の啓示を受けることです。旧約と新約を読むのです。聖書の学びをするには何冊かの訳の異なった聖書を読まれることをお勧めします。これによって事実の発見をすることができます。もし異なる訳がある場合、原典を調べてみるとよいでしょう。どのように意訳されたかがわかります。それによって事実を発見し、神の啓示の確信に迫ることができるからです。神の啓示の発見の喜びで満たされますようにお祈りしてます。

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