「教会の奉仕者たち」
序
ローマ16章は単なる挨拶の章ではありません。そこには多くの名前が記録されています。殊に女性の名前が多く見られます。この章は実際の教会生活を語っています。この章から教会生活はまず姉妹たちにあるのを見ることができます。
1援助者
最初の女性の名前はフィベです(新共同訳ではフェベ)。第二の名前はプリスカ、第三はマリア、第四はペルシス、第五はルフォスの母その他の姉妹たちが言及されています。これは実際の教会生活では姉妹たちが重要な役割を担っていたからです。 その中で最初のフェベは女執事で、ケンクレアイ教会の奉仕者でした。彼女は教会生活にある奉仕者の霊を代表しています。彼女は多くの人の援助者でした。彼女は人の必要とするものをすぐに提供しました。聖霊は慰め主・弁護者と呼ばれていますが、最も良い言葉は援助者という言葉です。聖霊は援助者であり、すべての姉妹も援助者であるべきです。多くの教会はこのような姉妹たちを必要としています。NPO法人アーバンボイス絆という団体があります。生活破綻者を支える奉仕団体ですが、これは二人の韓国から来られた姉妹で運営されています。姉妹たちは全時間奉仕しています。彼女たちの働きによって多くの人が支えられています。訪問、料理、掃除、みことばの伝達などの奉仕の霊が満ちています。パウロはフィベをこれらの点で第一に紹介しましたが、第二の面で重要なのは、彼女が百パーセント教会と繋がっていることです。彼女は教会の中で、教会のために奉仕していた姉妹でした。奉仕者の中には教会の外で働いている人が結構おります。しかし主が願っているのは教会の中での奉仕者です。
第二番目の姉妹はプリスカです。彼女は教会に自分の家を提供して集会をしました。彼女とその夫は、パウロの命を守ってくれただけでなく、異邦人のすべての教会のために働き、彼らも感謝していました。妻がリードして教会生活を充実させたのでした。雑談が多くならないで奉仕すること、教理が必要ではなく、実際的に人に仕える必要があるということです。
2 霊に従って語る
多くの姉妹たちは時には教理を語ります。しかし、主の目から見れば、雑談にしかすぎません。なぜならそこには命の中で成長させる奉仕がないからです。彼女たちの語りかけは雑談、うさはらしにすぎません。パウロはこう言います、「その上、彼女たちが家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更にただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします」(Ⅰテモテ5章13節)。「詮索好き」とは、おせっかい屋で、人のことを干渉することです。「話してはならないこと」は、素晴らしいことであっても語る必要はありません。人に命を分け与えないことに語る時間や勢力を尽くすことはありません。教会の中で真剣に奉仕者となろうとするなら、まず世間話をしないことを学ばねばなりません。教理をむなしく語ることも雑談なのです。語ることが相手の必要としているものかどうかによってそれは決定されます。どうすれば人の命を成長させ、教会を成長させるかを学ばねばならないのです。これがローマの信徒への手紙8章の、聖霊に従って行動すると言うことです。聖霊に従って歩むことの意味は、単に足に適用されるだけでなく、口にも適用されなければなりません。霊に従って語ることを学ぶことです。
3 祈りによって奉仕する
あるものを人に供給することは、彼らのために祈ることを含みます。語ることも必要ありません。祈っていることを知らせる必要もありません。ただとりなしの祈りによって奉仕します。このような祈りも奉仕です。ある兄弟が集会で立ち上がって、語るべきでないことを語ったとします。これを聞いても即座に何も語らず家に戻り、その兄弟のために祈り仕えるのです。そうすればその兄弟は、自分がどのように調整されたかを証しするでしょう。祈りは、主が働かれる道を備えたからです。雑談をすることを学ぶのでなく、祈ることを学ぶ必要があります。そうすれな奉仕する人となり、奉仕する霊が相手にも乗り移り、むなしく語るのをやめて、祈りだします。奉仕する最高の道は、祈りです。監禁されたペトロのためにマリヤの家では祈りの集会がありました(使徒12章)。これは一種の奉仕です。
適用
ある兄弟が教会で問題となったり、ある姉妹が生活の困難に出遭うのを見るなら、それについて語るのでなく、負担を持って数人でこの課題のために祈ることです。このようになればあなたはフィベとなり、教会の最高の奉仕を持つ事になるでしょう。すべての聖徒たちのために負担を担う者となることです。