top of page

「命を漏らす無益な言葉」

水を入れるバケツに穴が開いていれば中の水は漏れてしまいます。これは中の水があるかどうかの問題ではなく、漏るか漏らないかの問題です。兄弟姉妹たちの中には主をひたすら追求し、熱心に祈っているのですが、あまり命を感じ取れない人もいます。かえって死を感じることさえもあります。その原因はどこにあるのでしょうか。

1命の漏れ

無益な言葉は命を漏らす穴です。箴言13章3節は、「自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開く者は滅びる」と言います。作者のソロモン王がこれを書いた時、肉の命を指しているのか、霊の命を指して書いたのかはっきり言うことはできません。ただこの句の霊的事柄を見るならばたとえ既に主を追い求め霊的永遠の命を得ている人であろうと、言葉を慎まなければならないと言うことを示しています。そうでないと命が漏れ出してしまうと言うのです。なぜ既に新生した人が神の御手の中であまり役に立たないのでしょうか? それは命が漏れ出ているからです。12年間出血が続いている長血を患っていた女がイエスに近づいて主の衣の房に触れて癒されたいと願いました(マタイ9章20~22節)。彼女から命が漏れ出ていたので主の役に立たなかったのです。肉体の命は血の中にあります(レビ15章11節)。ですからこの病気は保持することのできない命を象徴します。

主イエスの衣は、主の義なる行為を象徴し、房は天的支配を象徴し、これを見る時、みだらな行いから守られるのです(民数記15章38~39節)。つまりいやす力が出てくるので、彼女はそれに触れたいと願い、かなえられ、主の有益な女とされたのです。そこで箴言は命を守るために、唇を守ることを教えています。言葉を慎むのが、命の漏れを防ぐ道であると教えています。主イエスもマタイ12章36節で「無益な言葉」について語っております。それは、余計な言葉、関係のない言葉、不必要な言葉、噂を立てる言葉です。人をけなす言葉も重大なことですが、無益な言葉も重大であることを知らねばなりません。いったん語った言葉を取り消すかもしれませんが、しかし、既に人の中に入った声は、取り消すことはできません。人の物を壊したら弁償することができますが、無益な言葉で人に罪を犯したら、償うことが出来ないのです

2 唇を守る対処法

唇を守るには、まず心を対処しなければなりません。無益な言葉に対処するには、まず心を対処しなければなりません。パウロは、問題を抱え、異なったことを語っていたコリントの兄弟たちに、「勝手なことを言わず、みな同じ事を語り」なさい、と勧めました。どうしたらそうなるのでしょうか?「同じ思いの中で、また同じ意見の中で調和されますように」(Ⅰコリント1章10節)と言っています。個人の命が無益な言葉によって漏れるように、教会の命も無益な言葉によって漏れてしまうのです。私たちの命は一つですから、同じ思いの中で、同じ意見の中で調和されるべきです。そうすれば同じ事を語り、無益な言葉を語らなくなります。もしだれかが無益な言葉や、うわさ話を語るなら、語らせないように、「一緒に祈りましょう」、「今しか聞けない大切な話を語りましょう」と言って、正しい道に導くことが大事です。

 私たちが命の漏れ穴をふさぐ人になるには、まず好奇心から救われ、神を畏れ敬い、学ぶよう、神を求めねばなりません。多くのクリスチャンには好奇心があって、目新しい話やみだらな話を聞くことを好みます。耳は、ごみ箱のようでさまざまな物を入れることができます。あなたはゴミ箱になってはならないのです。

適用

もし私たちが耳触りのよい話を好まず、また人に無益な言葉を話す機会を与えないなら、私たちは神の御前で自分の唇を守ることができ、命を漏らすことがないでしょう。それと同時に、他の人の漏れ穴をふさぐのを助けることができます。どうか主が私たちを、命を漏らしてしまうこの無益な言葉から救い出してくださいますように祈ります。


最近の説教
bottom of page