「宿無しの放浪者たち」
序
ヤコブがベテルで夢を見た時、宿無しの放浪者で、硬い石を枕にして寝なければなりませんでした。彼には安息がありませんでした。同様に神も安息の場所がなく、ホームレスであったことに気づきます。この状況の中で、神はヤコブに天まで届くはしごの夢を与えました。そのはしごを神の使いたちが上り下りしていました。彼は目を覚ますと「これは神の家である。これは天の門だ」と言いました(創28章17節)。この幻は私たちに何を示しているのでしょうか。
1神の安息の場所
天の門について語ることで、ヤコブは天が開かれており、人がそこに入ることができることを示しました。このはしごは地上と天をつなぐ垂直な道でした。それは、人から神に上り、神から人に下ってくる道でした。開かれた天という面で、この場所は天の門であり、地上の特定の場所という面で、それはベテルであり、神の家、神の住まいでした。安息の場所は、天ではなく地上にあったのです。マタイ福音書6章10節で「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも」と言います。神は地上に来られることを望んでおります。それは地上が神の敵あるサタンによって堕落させられ、強奪され、占領されてきたからです。神の願いは、この地上を回復し、地上に神の住まい、ベテルを持つことなのです。失われた秩序の回復です。
2 天のはしご
このはしごが何であるかを見るにはヨハネ福音書1章51節を参照しなければなりません。それは「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降(くだ)りするのを、あなたがたは見ることになる」と言います。これは創世記28章の引用です。そこでは神の御使いたちが上り下りしており、ヨハネ福音書ではこのはしごが人の子であり、その方の上を神の御使いたちが上り下りしています。ですからはしごは、人の子、受肉したキリストである主イエスご自身です。さらにヨハネ14章6節で「わたしは道であり、・・・わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われました。主は、平らな道でなく、垂直な道です。この道であるイエスを通して神のところに行くのです。神を人に人を神に結び付けるのはイエスです。神と人を一つにし、天と地を一つにする垂直な道です。 ヨハネ1章51節で、主は神の御使いたちが「神の御子」の上ではなく、「人の子」の上を上り下りすると言われました。ヨハネ福音書の冒頭で主は永遠の言葉で、肉体になることにより「人の子」となりました。こうして神と人を一つにし、天と地を一つにします。ですからイエスは真のはしごなのです。このはしごがあるところ、主イエスがおられるところ地上で天が開かれており、神の家があることを明らかにします。
3 石の上に注がれた油
創世記28章18節~19節前半は言います、「ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、19その場所をベテル(神の家)と名付けた」。ヤコブは、その場所だけでなく枕にしていた石にもベテルという名をつけました」。ヤコブはその場所だけでなく石にもベテルと名付けました。すなわち油が注がれ、ヤコブが枕にした安息の石も、神の家ベテルであり、その宿無しの放浪者が横になることができた安息場所なのです。この人が安息する場所が神の住まわれる場所でもあるのです。神の家であるためには、油が注がれた石がなければなりません。油は聖霊のことです。それでは石とは何でしょうか? 石とは建物を建てる材料です。つまり油が注がれた後、家になったのです。同様に私たちの霊の家を建て上げる材料の石です。この石に聖霊が注がれて神の家、ベテルとなるのです。
適用
集会することにおいて天が開け、神から垂直な道があるという感覚を人にどうすれば与えることが出来るのでしょうか?集会にはヤコブのような手に負えない若者も来るかもしれません。しかし神と混ざり合わされる聖霊で満たされるなら、彼らは夢を見るでしょう。これはなんだろうと、彼らは奇妙なものを見るのです。これは教会だと気づくのです。教会生活はただ、メッセージをして、賛美して、祈り叫ぶだけではありません。食事をし、情報交換する場所だけでもありません。私たちは聖霊と混ざり合っていなければうんざりします。もし混じり合っているならば黙っていても、叫び祈らなくても感動します。日ごとに石の上に油を注ぐことの真の意味を理解しなければなりません。人が神と接触し、神が人を訪れて混ざり合う、この霊的交流である天のはしご、垂直の道であるキリストが神の教会です。神の安息の場所なのです。
今日、神は教会を持っています。しかし、もう一面で、神は今なお宿無しの神です。そして多くの人は、安息のない宿無しのまま荒野をさまよっています。彼らには夢が必要です。この夢は、誇大妄想的なものではありません、それは人の子である主イエスがおられる夢を見ることなのです。