「三一の神に結合した勝利者」
序
信仰は、キリストが来臨し、凱旋して戻られる時、勝利者たちがキリストに会うための神聖な要求です。それはルカ福音書18章8節に基づいています。主イエスは「人の子が来る時、地上に信仰を見いだすであろうか?」と言われました。
1信仰と三一の神との接触
皆さんが神と接触するなら、信仰はあなたの中で成長します。これは、神があなたの中で増し加わることを意味します。私たちは質において同じ信仰を持っていますが、私たちが持っている信仰の量は、どれほど私たちが生ける神と接触し、神が私たちの中で増し加わるかにかかっています。神があなたの中で増し加わる時、この信仰も成長します。 そこで毎日、日夜、究極的に完成された霊としての神ご自身、三一の神に接触する必要があります。その時、聖霊なる神は私たちの内側からあふれ流れ、生ける主を味わい、力強く、気が狂ったかのように歌い出したり、祈り出したりします。それは生ける主を味わい、主に触れたからです。このように信仰は主と接触するにつれ深まって行きます。
2 勝利者となる準備
今日、全世界は不信仰で満ちています。偶像宗教を信じるのも不信仰ですが、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントの人々の間でも、どこに信仰があるのでしょうか? イエスが今日突然来られたとしたら、どこに信仰を見いだすことができるでしょうか、と言われています。この地上の誰一人信じていないではないでしょうか、と言われているようです。 使徒パウロは、自分に信頼するのでなく、私たちが全く無であり、キリストの十字架と共に葬られたのであり、生きているのは内におられる復活の命のキリストの霊である神がおられるだけであることを信じることを主張されました。かくして主が戻って来られる時、私たちは信じる者であって、いつも自分ではなく三一の神に信頼する者であって、自分には何の確信もない者として、見いだすことができるようにと望みます。 私たちの全き確信は主にあります。これが信仰です。この信仰は勝利者の資格を与えます。それはキリストが凱旋して戻られる時、私たちが勝利者として、キリストに会うための神聖な要求です。
そこで私たちは今や、かの日のために準備を整えています。準備を整えるとは、生ける信仰によって常に三一の神と結びつけられている勝利者となることです。そこで日夜、こう言うように心がけることです、「主よ、朝から晩まで主を賛美します。私はいつも主に結び付けられています。わたしがあなたを生き、あなたと共に歩き、あなたと共に生きるために、あなたと結びつけられる生ける信仰があります。あなたが私と一つであるように、私はあなたと一つです」と。 信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめすべての絡み付く罪やすべての重荷をかなぐり捨てて、自分に定められている走るべき道を忍耐強く走り抜くことです(ヘブライ12章1~2節)。
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適用
信仰を受け入れる方法は、その源、主、手順を経て完成された聖霊なる内住の神に触れることです。その主を呼び求め、祈り、みことばを祈り読みすることによってです。私たちは神の恵みの御座に進み出て、あわれみと恵みを受けなければなりません。これが唯一の道です。どうか少しの言葉を主に語って、呼び求めてください。そうすれば信仰を受けるでしょう。この信仰が一の神に結びつけ、三一の神をあなたの内側に分け与え、注入します。それは王として勝利者となり、サタンや悪霊の働きに打ち勝ちます。祭司となって罪を赦し、愛の人として人と接することができるようになります。預言者となって救いの道を指し示すことが出来るようになります。こうして生ける信仰を持つようになり、信仰の人になるのです。全能の神に直結した勝利者となる、そんな信仰者になりましょう。