「より広く拡大する教会」
序
教会は世の中の羅針盤のようなもので、教会が生き返れば、世の中も生き返ります。よって教会はこの世の希望でなければなりません。その教会になんとなく通っていては勿体ないことです。
1教会論の必要
この教会がどのような役割をなすのかという「教会論」の確立が必要です。教会論は体で言えば、脊髄にあたります。教会論が揺らいでいると、すべてが揺らぎます。教会はイエスをキリスト(救い主)として告白する信仰共同体です。教会は牧会者や信徒のものではなく、教会の主人はイエス・キリストです。牧師や一部の有力信徒が主人になって、キリストがお客様になっていると教会は失敗し、リバイバルはできません。教会は天国の鍵を持っている共同体で、力ある共同体です。それには神のみことばが生きて働かねばなりません。そのような教会であれば奇跡とリバイバルが起こって来ないはずありません。
2 使徒の働きの教会の実態
イエスが語られた教会が使徒の働きの教会です。しかしそれは不完全な教会で、よく分裂し、到底完全な教会とは言えないものでしたが、その教会には一つの特徴がありました。それは聖霊が働かれ、神の奇跡が臨み、古代ローマを揺るがせたほどでした。この力ある教会の原理は、神のみことばに従い、イエスの名によって歩くことでした。ペトロが足の不自由な者に向かって「私には金や銀はないが、・・・イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(使徒3章6節)と言うと彼は立ち上がり、歩き出したのです。イエスの名は力がありイエス・キリストの満ち満ちた人格が宿っています。イエスの名を今でも呼び求める時、主の復活の命を与え聖霊が働き出します。
3 生きている礼拝
生きている礼拝はみことばのある礼拝、祈りのある礼拝、献身のある礼拝、交わりのある礼拝、賛美のある礼拝です。教会のリバイバルの原理は礼拝です。そこで聖霊の油注ぎを経験する時、サタンは出て行き、癒しと賜物が起こされ、奇跡が伴います。つまり礼拝は神の思いに浸り、生き返ることです。そこでは神の臨在にあずかり、知恵が与えられ、信仰が与えられ、癒しを経験します。驚くべき賜物を受けることもあります。 この礼拝で重要なのは、聖書の学びと説教です。み言葉の学びとその解き明かしである説教が礼拝の中心です。これらを通してイエスの御声を聞くのです。聖霊の語りかけを聞くのです。心の中に燃える思いと確信が与えられ聖霊の啓示を宣言することが「伝道」です。伝道は神の心を伝えることで、聖霊の力によってなすもので、自分の力でするものではありません。必ず教会の中心者の指示に従って行動することです。そのために神は牧師、伝道師、長老、執事を立ったのです。そして許可が下りるまで、祈って待つことです。神が働き出す時、すべてがうまく行きます。肉の思いで伝道しては失敗します。
4 教会のサイズ
イエスは教会の基本的な大きさについて二、三人と言う言葉で表現されました。「二人、または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18章20節)。二、三人がいれば基本的な教会になれるのです。初代教会は12人でした、それが5千人になりましたが、その数字はさほど重要ではありません。イエスの関心はいつも12弟子でした。そのうちの一人は裏切り、離れて行きました。教会には常にこのような人はいるものです。牧師を裏切ったり離れていくことは大した問題ではありません。重要なことは、イエスのみことばに聞き従う人として育てることです。信徒たちはみなそれぞれ性格が異なり、考え方が異なり、スタイルが異なります。ですから彼らを教会の枠の中に閉じ込めておかず自由に解き放つことも大事です。それがリバイバルへと向かう道です。それによって教会は強められます。神の国は聖霊によってもたらされます。風のように柔軟ですから、柔軟に対処する時、絶えず波打つのです。伝道の情熱が聖霊の「火」によって燃え出すなら、「風」のように自在に対処することです。
適用
教会の大きさを気にすることありません。教会の基本は12人です。12の5倍で60人です。60人の2倍で120人です。120人の3倍で360人です。私たちは一つの教えに立っていなければなりません。教会は再生産する空間で、絶えず広がっていく所です。ですから教会において重要なことは「連合」です。牧会者と信徒が一つとなり、見事に息を合わせて宣教に励む時、教会に本当のリバイバルの波が打ち寄せてくるでしょう。