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「幸せの条件」

幸せになるには、お金、名誉、快楽と考える人が多くおります。多くの人はお金が大好きです。自分が不幸なのはお金がないからだと考えます。権力はわたしたちに名誉をもたらし、影響力や支配力をもたらします。また人々は快楽が大好きです。それは楽しみと喜びを与えてくれます。ではこの三つを手にしたからといって幸せになりますか。決してそうではありません。

しかし聖書のⅠコリント13章を見ると信仰と希望と愛、信望愛の三つが幸せの条件である書かれています。これらは魂のビタミンで、これらがあると体は活気に満ち、生気に満ちて元気になります。

1第一の幸せの条件は信仰

あらゆる不可能を可能なものにするのが「信仰」です。信仰は不可能の壁を打ち倒すものです。聖書は「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11章1節)。 信仰は、信頼することで、信じれば天国に行きます。妻を信じ、夫を信じれば、夫婦の間に天国がつくられます。また親は子どもを信じ、子どもも親を信じるなら美しい社会が築かれます。信仰は目に見えませんが、不可能を可能にし、不幸を幸せに変えてくれます。

ところがある人は、自分はイエスを救い主として信じているのに、なぜ不幸なのかとつぶやきます。その理由は、その信仰に問題があるので、力がなく、癒すことも、奇跡を起こすこともできないからです。それは信仰と言うより「信念」と呼んで言いものです。自分の意志でつくった信仰は偽物です。このような信念はやがて消え去ります。本物の信仰とは、みことば信仰に立つものです。みことばに信頼し、信じ抜く信仰です。したがってイエスのおことばに信頼し、信ずる信仰を持つならば奇跡が起こります。イエス以上の力ある業を行うことができ、平安が訪れます。闇の力が消え去り、死の力が消え去り、絶望の力が消え去ります。そして、心の中に自信が生まれてきます。このような信仰を持ちたいとは思いませんか? それにはみことばを信頼し、信じるのです。

2 第二の幸せの条件は希望

希望はわたしたちが生きることのできる力を与え、まだ見ない未来のビジョンを与えてくれます。どれほど貧しく、病んでいようと、希望があれば生きていけます。しかし、約束のない希望は、偽りの希望です。永遠の命を生きる約束を持つならば救われます。約束を信じるならば夫婦も堅く立って幸せを感じます。揺れ動きません。不安になりません。死んでも生きると言う信仰があるからです。

アリマタヤのヨセフという金持ちは、イエスが十字架で死んだ後、その体を引き取りたいとピラトに願い出ました。マルコ15章43節で記者のマルコはイエスの「死体(プトーマ)」という表現をせずに、「生きた体(ソーマ)」と表現しました。それはイエスが復活されることを信じていたからです。イエスを信じる者は、「永遠の命を受け、裁かれることなく、死から命に移っている」(ヨハネ5章24節)のであり、「生きていてわたし(イエス)を信じる者は、いつまでも死なない」(ヨハネ11章25-26節)という本当の希望があります。

3 第三の幸せの条件は愛

 では愛は何を私たちに与えるのでしょうか? それは罪の赦しです。人生の最も大きな不幸は罪にあります。ではその罪をなくすにはどうすべきでしょうか? それは誰でもイエスが十字架にかかってこの罪を清算して下さった大いなる業を信じることです。神のアガペーの愛は、わたしたちのどうしようもない罪を赦して下さいました。エロスの愛、肉体的・人間的な愛では罪を赦しことはできません。しかし無条件の愛、損失の伴う愛、それだけが罪を洗う愛です。多くの人は愛あと言う名で人を傷つけています。その傷を癒すには罪を赦し、その罪のために身代わりになって貧乏くじを引く生き方がなければなりません。それが愛です。

適用

愛は分裂や怒りを癒す神秘の工場です。争いを和解に導く力です。平和を創造的に造りだす力は、主イエスの十字架愛、贖罪愛以外にありません。それは人間愛を超えた神の愛なのです。幸せになりたいと願う人よ、主イエスを信じ、主の御言葉に従って生きるようではありませんか。


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