「 聖霊による派遣 」
序
最初のキリスト教宣教師を送り出したのはアンテオケ教会でありました。イエスの宣教命令、「地の果てに至るまで、福音を宣べ伝えよ」を忠実に守ったからです。これは、異邦人世界に神の王国の福音を拡大するために、主が踏み出された大きな第一歩でした。それは人のいかなる計画や手段によるのでなく、シリヤでの異邦人の中心地、アンテオケから五人の忠実な主を追い求める人々によって始まりました。どのようにしたのでしょうか。
第一にアンテオケ教会の信徒たちは、主を礼拝し、断食をしていたとあります。
初代教会の人々は礼拝をすると共に断食をしていた光景が見られます。「断食」と聞くと、肉体的な断食を連想しますが、ここでの断食はそれだけを意味するのではなく、この世的なものを暮らしから断つことを意味しています。
聖書には断食に失敗した人々が記録されています。アダムとエバは、「園の中央にある木の実を食べてはならない」という断食を破りました。アブラハムは、「親族を離れ、父の家を離れよ」という断食を守らず、全財産としもべと甥のロトを連れて行きました。ロトの妻は火の審判が降ったソドムから避難する時に「振り返ってはならない」という断食を守らず、塩の柱になってしまいました。
反対にこの世に仕えていた人が、断食に成功した人もいます。徴税人のザアカイがその人です。彼は富と権力に仕えていましたが、イエスに出会って、この世に断食することに成功し「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かをだまし取っていたら、それを四倍にして返します」(ルカ19章8節)と言いました。私たちもこの世に対して断食をし、妥協してはならないのです。妥協した時から堕落が始まります。
第二に、自分の思い通りでなく、聖霊様の導くままに委ねなければなりません。
断食を通して教会のかしらなるキリストにチャンスを与えたのです。その霊としてのキリストが彼らを聖別して、福音の拡大に委託しました。それはエルサレムにある教会とは組織的に何の関係もありませんでした。
またペトロやほかの11人の使徒たちの指揮の下にもありませんでした。創造主である聖霊様にすべてを委ね、従うのです。仕事は聖霊様がしてくださいます。そのとき神の祝福と守りが与えられます。
第三に、明確な使命感が必要です。
虚無感で満たされてはいけません。ある人は富や権力や地位を得るために努力して巨万の富を得ましたが、心の中は空洞でした。それは使命ではないことに気づいたからです。人間の使命はとてもシンプルです。神から来て、神のために生き、神の下に戻ることです。神のために生きる方法は、「地の果てにまで行って福音を宣べ伝える」こと以外にありません。それが「神の国と神の義を求める」ことです。そうすれば必要なものはすべて添えて与えられます。これが天の奥義であり、神の求めておられることだと気づくなら、聖霊様と共に歩むようにならざるを得ないのです。
適用
宣教に伴うことは、
①礼拝と断食です。これは〈聖別〉され、この世と分離することです。
②聖霊様に従い、その導きを受けることです。
③明確な使命感を持ち神のために生きることです。