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「 変えられた身分」

  人々は今日よりも明日がよくなるだろうと期待して生きています。そうでなければ絶望してしまいます。そのために知識を積み、文明や科学を発展させてきたのも事実です。しかしこれらの環境を変えても、人の心に真の満足を与えることはできません。多くの人は孤独に陥り、アルコール依存になったり、ギャンブル依存になったり、先進国ほど、離婚率、自殺率が高くなっているのはその事実を裏付けています。人は身分が変わらなければ、真の満足を得ることができないのです。

1 神の選ばれた者とは

多くの知識のある人、権力を持つ人、身分の高い人、経済力のある人は、自力で問題を解決できると思い込んでいます。だから神はその逆の人を選んで、彼らの身分を変えることによって、奇跡を起こしてくださいます。イエスを救い主として受け容れ、より頼む人は、間違いなくプラス人生に変えられます。 パウロもマリアもトマスもみんなイエス・キリストをプラスして人生が変えられました。新しく造り変えられました。それはイエスをプラスし、受け容れるとき、身分が変わり、それに見合った環境が造り出されるからです。そこに神の祝福が注がれます。まずキリストを受け容れることです。そうすると身分が変わります。

コリントの教会には、知識のある者、力ある者、家柄のよい者が多かったわけではありませんでした。おもに貧しい家庭の出身者、さげすまれた生活をしていた人から構成されておりました。このような人を神は選び、重く見たのです。したがって知識のある人や、力のある人や上流階級の人を重く見るのは、神の思いに反することであり、教会にとっては恥なのです。 神の召し、選びは、世の無に等しい者、身分の卑しい者、見下げられている者を選ばれたのです。つまりコンプレックスを持っている者を選んだと言うのです(一コリ1章28節)。と言うことは教会の人はみなコンプレックスを持ち、無力な者の集団だと言うのです。そこで選ばれている人は、たとえこの世で、重んじられる人であっても、神の御前には無きに等しい者なのです。それは誰もが神の御前に誇ることがないためです。

2 知恵と義と聖と贖い

    そんな者たちが、キリストをプラスして結ばれ新創造としてキリストを生きる者となったのです。よってキリストの中で持つものはすべて神からであって、私たち自身からではありません。わたしたちはアダムからキリストへと移され、キリストの中に置かれたのです。このキリストを神は「神の知恵」とされたのです。かくしてキリストはわたしたちに「知恵」である問題解決の能力を与えられたのです。さらにキリストは「義と聖と贖い」となられました。

  そして、(1)義(わたしたちの過去のための)とされたのです。それは、霊において再生され、神聖な命を得るためです。かくして神の御前に出ることのできる資格が与えられるのです。また、

  (2)魂において聖別され聖(わたしたちの現在のための)とされました。それにより、思い、感情、意志において、神聖な命によって造り変えられるのです。イエスをプラスすることにより、聖潔な暮らしができるようになります。

  また、(3)贖い(わたしたちの将来のための)を得ることができます。すなわち、わたしたちの体の贖いです。キリストは、サタンに売り渡されたわたしたちを十字架の血潮の代価を支払われ買い戻してくださいました。それは、罪を赦す代価、病をいやす代価、呪いから解放する代価、そして永生を得るための代価を支払われ、それによって神聖な命によって体が変貌せられ、キリストの栄光を持つようになるのです。

適用

   こうしてイエスを人生の中にプラスすると、考えが変わり、わたしたちの霊・魂・体のすべてが造り変えられていくのです。どんな環境であっても、環境に負けることなく、肯定的な思いを持つことができるようになります。更に使う言葉も変わります。

   身分が変わるので使う言葉も変わりのは当然です。否定的、破壊的な言葉は影をひそめ、創造的、生産的、建徳的な言葉を用いるようになります。もはや過去の人ではなく、新しい人になるのです。新しい身分を得て、祝福と平安に満ち溢れた環境の変化が起きることを信じるようになることを疑うことなく信じますように。


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