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「感謝と賛美をささげよ 」

私たちの愛の神はどこでも、どんな時も私たちと共におられます。主の御手は私たちを導き、支えてくださいます。しかし一つだけ条件があります、「あなたが地上で繋ぐことは、天でも繋がれ、地上で解くことは、天でも解かれる」(マタイ16章19節)のです。天の国に入る鍵は同時に真の教会に入る鍵でもありますが、それはまず私たちがなすべきことによって得る権威です。

1 天の国に入る鍵を得るには

ソロモン、レハベアム、アビヤ、アサと続いたユダ王国はヨシャファトが王となったことがありました。彼は神を崇めたので主は彼と共にあおられました。そのため大いなる富と栄光に恵まれ民は栄えました。繁栄するユダを恐れたモアブ、アンモン、メウニムの連合軍は戦いを挑み襲い掛かりました。ユダに勝算などありませんでした。その時、ヨシャファト王は、すこしもひるむことなく、全国民に断食を呼びかけ、礼服で着飾った聖歌隊を前面に押し立てて、戦いを挑みます。「おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。・・・あなたたちは戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ・・・明日、敵に向かって出て行け。主が共にいる」(歴代誌下20章15節、17節)。軍隊の前に出た聖歌隊は「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに絶えることがない」と主に感謝と賛美をささげたのです。この感謝のささげ物の上に座して下さる神は、連合軍に同士討ちをさせ、ユダを守って下さったのです。

天の国に鍵を握るのは、まず感謝と賛美をささげることです。この時、地上で繋がれるものは天でも繋がれ、地上で解かれるものは天でも解かれるのです。偉大な力は天から下って来るのです

2 感謝をささげる理由

マケドニヤ宣教に出かけたパウロとシラスは、フィリピと言う町で、女占い師の主人の陰謀により、激しく鞭打たれ牢獄に繋がれました。足には足枷もはめられたのです。体を自由に動かせない状況にありながらも、真夜中、彼らは牢獄で神の対する感謝の祈りと賛美をささげたところ、大きな地震があり、聖霊様の働きにより、牢屋の門は開かれ、足枷は解かれました。真夜中とは、絶望と悲しみの象徴です。彼らがなぜ感謝の祈りと賛美をささげたのでしょうか。それは飢え渇きを覚えていたからです。

 今、皆さんは病気と言う真夜中におられるのでしょうか? 経済的真夜中におられるのでしょうか? 霊的真夜中の中で渇きを覚えているでしょか? そんな時こそ、感謝の祈りと賛美をささげねばならないのです。そしてみことばを慕い求めるのです。

適用

逆境の中で感謝することができるようになると救いと癒しと祝福を得ることができます。物のあるところに心もあります。私たちは感謝と賛美のささげものをまず神にささげようではありませんか。私たちが縛っている物を解き放ち、神様にささげるとき不思議な奇跡が起こって来るのです。感謝のささげ物をする人に、30倍、60倍、100倍の祝福がありますように


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