「よみがえられたイエス 」
序 イエス・キリストが、十字架にかかり私たちの罪を贖い、死んで、三日目に墓の中よりよみがえられたということは何を意味しているのでしょうか。
1 サタンのもたらした罪を贖う主
私たちが病、呪い、貧しさ、苦しみそして死の恐怖の中で暮らし、悲しみの中に陥ったのは何が原因だったのでしょうか。聖書では、それは最初のアダムの罪によると告げています。そして「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6章23節)とあります。にもかかわらず神は御子イエスをこの世に遣わし、私たちを罪から救い出してくださいました。
このことは創世記の初めに約束されていたからです。「お前と女、お前の子孫の間に、私は敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(創世記3章15節)と、この「彼」とは、救い主イエスのことです。
イエスさまは、最後のアダムとして、サタンの仕業を滅ぼすために来られサタンに対して宣戦布告をなされました。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4章18~19節)。そして、十字架の決戦に臨まれ、私たちの咎のために傷つけられ、私たちの不義のために砕かれました。このように自ら懲らしめを受けて、私たちに平安を与え、その打ち傷によって私たちは癒されたのだ、とイザヤ書53章5節は告げています。
2 勝利の確証としてのよみがえり
私たちにはイエスが勝利したかどうかの証拠が必要です。それはイエス・キリストの復活、よみがえりです。イエスがマグダラのマリアに現れた後、弟子たちや多くの人々の前に現れました。それは、私たちに勝利を確信させるため、サタンに対する勝利を立証するためのものでした。さらに、別の助け主、聖霊様を私たちに与えてくださいました。聖霊様とは、復活のイエスの命を与える霊のことで、唯一なる神の一側面です。 マルコの屋根裏部屋で120名の信徒たちが熱心に祈っていた時に、聖霊が炎のように降ったように、私たちが熱心に祈り求めるならば、聖霊様が私たちの内なる霊の部分を占領し、支配し、聖霊充満として、不思議なしるしを見させてくださいます。
アブラハムは神から罪に染まったソドムとゴモラの町と住民をことごとく滅ぼすと告げられましたが、ソドムの町に住む甥のロトの家族を救わんがために必死で神に祈りました。そのため神は彼の家族の救いを約束してくださいました(創世記18章32節)。 ユダのヒゼキヤ王は何を企てても成功する人物でした。
彼は主を固く信じ、主に背いて離れることがなかったのです。このように人がすべてを神にささげるとき、神はその人にとってすべてとなってくださいます。しかし彼の命も神の御手にあり、彼の天敵アッシリアのセンナケリブ王が殺されるや、彼もまた死の病にかかりました。預言者イザヤは王に、「あなたは死ぬことになっているのだから遺言をしなさい」と言いました。するとヒゼキヤ王は「ああ主よ、あなたに忠実に歩んできたことを思い起こしてください」と涙を流して祈りました。すると神の言葉がイザヤに臨み、こう告げました、「主なる神はあなたの祈りを聞き、涙を見ました。あなたはいやされ、三日目には主の神殿に上れるであろう。あなたの寿命は15年延ばし、アッシリアの魔の手から救い出し、このエルサレムの都も救い出し、守り抜こう」と約束してくださったのです(列王記下20章)。
19世紀、科学者たちによってエントロピーと言う概念が導入され、宇宙のものはやがて崩壊すると、言われ出しました。熱力学第二法則です。確かに聖書には天と地の「すべては衣のように朽ち果てます」(詩編102編27節)とあります。ヨハネ黙示録ではハルマゲドンの戦いがやがて起き、世界最終戦争が起こるように預言されています。しかし、神はご自分が創造されたものが崩壊しないようにできない訳ではありません。もし私たちが必死に世界の平和を祈り、宇宙が崩壊しないように祈るなら、必ず願いを聞き入れてくださいます。アブラハムの祈り、ヒゼキヤの祈りのように私たちの祈りは力があるからです。これこそ復活の実なのです。
適用
イエスの復活によりサタンの権勢が打ち破られ、私たちは神の子女としての資格を取り戻し、主の宮で暮らす道が開かれました。もはやサタンの奴隷ではなくなったのです