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「星のように輝く 」

困難な状況の中でも、神を賛美して、讃えるようになるまで本当の意味での解放はありません。Ⅰペトロ2章19~20節で「何もしてないのに罰せられたら、神のために耐えなさい。神はあなたと共に喜び、あなたに微笑む!」とあります。ここで覚えておきたいのは、苦しみにいることが、神を讃えることではなく、いかなる苦しみの中にあっても、状況に左右されることなく正しい態度を持ち続けることが、結果として神を讃えることに繋がると言うのです。

私たちがイエスの模範に学び、不当な扱いを受けながらも耐え忍んだその姿から励ましを受けるべきなのです。これは私たちに与えられた任務なのです(同2章21節)。この地上で星のように輝いて生きるのはこのイエスを手本とする必要があります。

1 イエスを手本とする

イエス様の生きざまは、実に見事で、不平をこぼさずじっと口を閉ざしたまま、目の前の状況に動揺することなく、神だけを信頼し、仕返しをせず、じっと耐え抜いたのです。平穏を失い、短気になってしまいがちな私たちとはだいぶ開きがありました。子どもは親の言われた言葉よりも、親の生き方や振る舞いから、より多くのことを吸収しています。

  パウロはこう言います、「イエスのために囚人となった私からお願いします、神の働きのために招かれたのですから、それにふさわしい生き方をして、心を低くし、穏やかな人になり、愛をもって互いの欠点を思いやり、互いに辛抱強くあってほしい」と(エフェソ4章1~2節)。クリスチャンは、謙遜、穏やか、そして辛抱強くなければなりません。これこそ私たちが持つべき態度なのだと聖書は教えています。

 旧約聖書に登場するヨセフのことを思い出してください(詩編105編16~24節)。彼は兄たちに不当に扱われた挙句、奴隷としてエジプトに売られました。彼はポティファルという金持ちによって買い取られ、行く先々で主は彼を祝福しました。しかし、ポティファルの妻がヨセフを誘惑し、不倫の関係を迫ったのですが彼はその誘惑を振り切ったのですが、そのために彼女を怒らせ不当の罪を着せられ牢屋に入れられてしまいました。彼は決して愚痴をこぼさず、正しい態度を持ち続け、やがて牢屋から出されて、出世の道を歩みました。最終的には国を治める権威を手に入れ、エジプトでは王様の次に並ぶ権威者となったのです。

神はまた。兄たちとの関係においてもヨセフの潔白を証明してくれました。飢饉で苦しんで兄たちは食糧を求めて、エジプトのヨセフの所に来て頭を下げに来たのです。そんな有利な状況でも、彼は兄たちを復讐せず、神に喜ばれる態度を持ち続けました。そして「兄たちが自分に与えた不幸も、神様は良いことのために用いてくれた」と言いました。つまり兄たちもまた神の手の中にいるのだから、自分には彼らを祝福する以外の選択肢はないと、ヨセフは考えたのです(創世記39~50章)。ヨセフは実に来るべき救い主イエスのモデルでした。

2 愚痴をこぼすことの危険

  ヨセフは苛酷な状況の中でも、まったく不平をこぼしませんでした。それに対して、イスラエルの民は些細な事であっても、自分の思い通りにならないことには不平をこぼしました。愚痴を言い、あら捜しをし、不平不満ばかりを口にしました(Ⅰコリント10章9~10節)。彼らは、それらを通して神の敵であるサタンが忍び込み、最終的に滅ぼされました。神に感謝せず、代わりに不平不満を言い、大きな代償を払う事になったのです。これは私たちへの教訓です。不平不満が頭の中に渦を蒔き始めると、いつしか口を突いて出ます。そのような頭の状況が起きたなら精神が荒野をさまよっていると気づくべきです。そのメンタリティではカナンの地に入ることはできず、荒野にとどまり続けます。星のように輝くには、神を賛美し、感謝の心を持つことです。不満を抱いて、愚痴をこぼすたびにサタンは負の力を蓄え、私たちを支配していく力を増していくのです。サタンに力を与えるのは他でもない私たちなのです。

3 脱出するには

 職場での待遇は現実的に考えて良くなく、収入も低いかもしれません。また上司からの扱いも赦されるべきでない不当なものであるかもしれません。そこから脱出するための方法は、不平不満をこぼすことではありません。星のように輝く人生をつかみ取るには、どうすべきでしょうか。パウロはそれをフィリピ書で教えています。

 第一に、どのような状況に直面しても、それに動じ、思い煩わず、感謝の心を込めて祈ることです、と教えています(フィリピ4章6節)。どんなに祈りを込めて祈っても、感謝の心をもって生活をしないなら、祈りに対する期待通りの答えを受け取ることは難しいはずです。聖書は不満だらけの態度で祈れとは言っていません。「感謝を込めて祈れ」と告げています。

 第二に、自分の思い通りに物事が進まなかったり、欲しいものが手に入らなかったり、予想以上に待たされたりするような状況であっても、いらいら、ぶつぶつと文句を言わず辛抱強くすることです。「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい・・・そうすれば世にあって星のように輝き」ます(フィリピ2章14、15節)。これが聖書の教えです。辛抱強くあるとは、良い態度で待ち続けることです。不平不満をこぼすことやネガティブな考えや発言を軽く見てはなりません。これは危険なことで、私たちを破滅させる力を持っているのです。

適用

 堂々巡りの歩みを変えて、前進する時が来ました。これからの人生を良い方向に変えていきたいのなら、思いにおいても、言葉においても、不平不満を締め出していく必要があるのです。自分の心を見張るのは簡単なことではありませんが、「救い主キリストの心」を最大限に生かしていこうではありませんか.


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