「どうしても無理か 」
よく人は言います、「それは分かるのですが、難しすぎて無理なのです」というフレーズです。こうサタンは心に植え付け、あきらめて投げ出すように仕向けてきます。このようにネガティブで後ろ向きに捉えがちの人は申命記30章11節、14節のみことばを味わってみることです
1 神からの贈り物
「わたしが今日あなたに命じる戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。・・・みことばはあなたのごく近くにあり、あなたの口や心にあるのだから、それを行うことができる」(申命記30章11節、14節)。 なぜ神はご自分の教えが難しいものではないと言ったのでしょうか?その答えは、私たちに与えられた聖霊にあります。内側で聖霊が働き、導くゆえに、人間的には難しく感じるような教えでも、神の教えに従うことができるのです。聖霊とは、主の復活の命を与える霊です。 ところが自分の力で何かを成し遂げようとしても難しくなることがあります。それゆえに聖霊に頼る必然性があるのです。聖書では、聖霊のことを「助け主」と呼んでいます。「父に、もう一人の助け主を送っていただくよう、お願いしましょう。その助け主は絶対にあなたを離れません」(ヨハネ14章16節リビングバイブル訳)。聖霊は、私たちの内に宿り、一緒にいてくださり、助けてくださると言うのです。どんなに大きな問題が目の前に立ちはだかろうとも、それを解決してくれるお方が聖霊です。聖霊の助けがあれば、スムーズに乗り越えて行けるのです。それには神と過ごす時間を増やすことです。この聖霊を賜わることこそ最高の神からの贈り物です。 神はこの贈り物を与えつつ、険しく困難な道を行かせることもあります。それは私たちが成長し、更に大きな課題を果たすことができるようになすためです。次から次と障害物が襲ってきても、それに打ち勝ち前進していく戦いの仕方を教えるためです。自分の力に頼っていては、限界がありますが、聖霊の導くに従えば「耐えられない、無理だ」という思いを払拭できるのです。めげてはならないのです
2 強めてくださるお方
聖霊に満ちている人は、あきらめない、やる気を失わない人です。聖霊がいつもあきらめないように呼びかけているからです。「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります」(ガラテヤ6章9節)。辛くても、弱音を吐かず、不平を言わず、しがみついていれば、収穫の時は必ず訪れるのです。ではどのように生きるべきでしょうか? パウロはこう言います、「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です【私の内側に力を注ぎ込んでくださる神によって、私はどんなことにも立ち向かう準備ができています。神のゆえに、私は何も恐れることなどありません。キリストの完璧さのゆえに、私は満ち足りていられるのですから。】」(フィリピ4章12~13節)。 正しい考え方を持つことで、戦いに向けて備えられていきます。しかし間違った考え方をしているならば、武器を持たないで戦場に行くようなものです。そんな無謀な事をすれば、すぐに倒されてしまいます。
適用
イスラエルの民も荒野の旅路の間ぶつぶつと不平をこぼすような人たちでありました。クリスチャンの中にも「日曜日は勇敢な戦士、月曜日は不満だらけ」という態度の人がたくさんおります。パウロは告げたように「私は、私を強めてくださるお方によって、どんなことでもできるのです」と大胆に告げることのできるようなものとなって生きましょう。