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「何事も思い煩わない 」

    心配せずにはいられない「心配中毒」の人がたくさんおります。自分に心配事がない時は、代わりに人の心配をしてしまうほど、心配せずにはおれない人です。したがってイエスが命を犠牲にしてまで勝ち取ってくれた平安を、心から味わうことすらできないでいるクリスチャンもおります。心配が無くならなければ平安のうちを生きることは難しいのです。

   イエスの内側にとどまり続けることで平安は実る、聖霊の実です(ヨハネ15章4節、ガラ5章22節、ヘブル4章)。そこで聖書は「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピ4章6節)と言います

 

1心配はサタンの攻撃の武器

 

     サタンは「心配」を用いて苦しめ、ずたずたにします。まさに心配はサタンが仕掛けて来る攻撃です。間違った思いを植え付け、不安や困惑や、悩みをもたらして神様に用いられる本来の目的を果たすことが出来ないようにします。「人生において、心配する必要は一切ない」とイエスは教えています(マタイ6章31節)。神が与えてくれた命こそすべての必要を満たしてくれるのです。空の鳥もしっかりと養われています。その鳥よりも価値のある存在である私たちを天の父はもっと大切に養ってくださいます。思い悩んだところで、自分の命をわずかでも伸ばすことができるわけでもなく、心配することに意味はありません(マタイ6章26~27節)。ところがサタンに遣わされた悪霊たちは、私たちの耳元で「この先、どうするつもり?」と繰り返し繰り返し尋ねてきます。その結果、不安に駆られ頭の中はパニックになり、「どうしたらいいだろう」と心配で一杯になります。

     このような時、「まだはっきりわからないけど、そのうち神が道を示してくれるから、今のままで待っていればいい」と答えればよいのです。「神は私たちが必要なものは何でも御存じなので、神を第一として、神が望まれる通りの生活をしていれば、必要なものは必ず与えてくださいます」(マタイ6章33節参照)。この世に人々は物欲を満たすことだけを考えるのですが、神の子である私たちは、第一に神を求めるべきです。神の道と神の正しさを追い求めるのです、そうすれば、私たちの一切の必要は満たされる、と神は約束して下さいました(マタイ6章33節)。神が与えるものをではなく、神御自身を求めるのです。そうすれば神はベストなタイミングで、必要なものを満たしてくださいます。心配していると必要の満たされることの妨げすらなり、何の役にも立ちません。

 

2 少しずつ達成して行くこと

 

  明日どうなるかなど考えずに、今日一日を無駄にしないように過ごすことが肝心です。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6章34節)とイエスは言われました。命が与えられているのは今日を生きるためです。

   一日を最大限に活かす方法を知らずに生きないことです。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」とイエスは言い、サタンはこの命を滅ぼすためだと言われました(ヨハネ10章9~10節)。サタンに惑わされず、神第一として与えられた任務を果たしていきましょう。明日するための力は明日にならないと与えられませんから、今日は今日にだけ焦点を絞っていけばよいのです。

 

3 みことばを与えた理由

 

      神は聖書のことばを私たちに与えました。それは紛れもなく神の言葉です。それは私たちを打ちのめし命を滅ぼす敵である悪魔とその手下である悪霊たちに立ち向かう武具です。このみことばによってイエス自身も敵に打ち勝ちました。 みことばに反する思いが襲ってきたら、それを吹き込むサタンを黙らせることです。

     それは神のみことばを声に出して宣言することです。心配と不安でいる時も、みことばを声に出して宣言することです。神は丁度よいタイミングで引き上げてくださいます。したがって気にかけていることをきっぱりと神にお任せすることです(Ⅰペトロ5章7節)。

   神に放り投げるのです。すると神はそれをキャッチして、解決への道を切り開いてくださいます。 神に思い煩いを任せるには、まず「神の力強い御手の下で自分を低くする」ことです(Ⅰペトロ5章6節)。この「自分を低くし、謙虚になる」というのは、「思い煩い」をやめることの意味です。つまり、自分の力で問題を解決するために頭をフル回転させ、自分で何とか解決策を考えようとするのをやめることです。神を待ち望むことは、謙遜な人の知る特権です。

    ユダの王ヨシャファトは、モアブ人とアンモン人が戦いを挑んできた時に、恐れおののき祈りました。「私たちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません」。するとヤハジルに神の霊が臨み、「おじけるな、この戦いは神の戦いである。明日、敵に向かって攻め下れ。そのときあなたたちは戦う必要はない。持ち場を守って、主があなたたちを救うのを見よ。

     恐れるな、おじけるな。出ていけ、主が共にいる」との主の応答を受けたのでした(歴代誌下20章)。持ち場をしっかりと守っていればいいのです。持ち場を守るとは、堅く立つことで、持ち場は神の中にあります。神を賛美し、イエスの中にとどまり、やすらぎを得ることが、持ち場なのです。 平安は、反対勢力が存在する時に与えられるものです。神にあるやすらぎは、嵐の真っただ中に存在する霊的な平安です。それこそが神の栄光を帰す何よりの方法なのです。

 

 

 

 

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