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「混乱した心 」

      優柔不断、感情のアップダウンの激しく、ためらってばかりいる人がおります。どっちつかずで確信がもてず情緒不安定の性格の人がいます。あれこれと思い悩むと、そのうちに疑いの念と混乱を引き起こしてしまいます。これを克服しておかないと大損をしてしまいます。それが実はサタンに戦いを挑まれているしるしなのだと御存じだったでしょうか。その理由をお話ししましょう

 

1頭で考えると混乱する

 

      「迷いの心」が「混乱の心」を呼び込みます。しかしもう一つの原因があります。それは「理性」です。「なぜだろう?」と考えると、人はその真相を論理的に考えようとします。すべてを頭で理解しようとするのですが、頭の回転がついていかず、理屈がわからなくなり、理屈に合わないと結論づけし、それを受け入れず拒絶する場合が多くあります。 これはサタンの手口の一つです。

    私たちが論理的に考えるように仕向けるので、神の思いが私たちに実現することを妨げるのです。例えば、神の命じたことがあるとします。それは論理的に納得できない場合「無視したい」となります。神の思いは、必ずしも私たちが頭で理解できるような事ばかりではありません。神の命じることは喜んで従うことのできることばかりではありません。犠牲や不快感を伴うようなことであったらどうでしょう。多くの人は拒絶します。これが信仰を閉ざす第一歩です。

 

 

2 霊に従うこと

 

 パウロは、生まれながらの人は神の霊を受け取っておらず、神の思いを理解することも、受け入れることもできない。ばからしく思うからだ、と言います(Ⅰコリント2章14節)。

 神がある物をAさんに贈りなさいと命じることがあります。繰り返し、神はその物を心に示し、贈りなさいと啓示されます。しかしそれを拒否し、そんなこと神が命じるはずはない、この啓示はサタンの惑わしに過ぎない、と心の中で結論づける場合があります。

 しかし数週間が経っても、神は心に語りかけ、その物をAさんに与えなさいと示すのです。そこで、神に向かって、それがあなたからの示しであると思いますが、従いたいとは思いません。第一それは自分にとって価値ある物で、Aさんにはふさわしいとは思えないからです、と理屈を押し通そうとし出します。

 ところが心が開かれて行くうちに、こんな事実が見えてきました。ではあの物はなぜ自分が持っているのだろうか。高価なものを持っているのは自分のためでなく、Aさんのために神が備えてくれたからではないか。それがいままでそれを一回も使用しなかった理由ではないか。

 このように私たちは自分の考えに振り回されます。神の思いとかけ離れたところをさ迷い歩き、理屈を述べ拒否するのです。それは「執着心」です。生まれながらの人、天然の人は聖霊の語りかけを理解できないのです。しかし、私の内にある霊は、理屈では語れないその理由を、よく理解しているのです。

 Aさんにある物を贈った後、私たちの心は平安が与えられます。神がなぜAさんに贈るべきかがはっきりしてきたからです。自分の思いと神の思いとは時に違うことがあります。その時は、神の思いを優先させなければなりません。

神が聖書を通して、内なる霊を通して語りかける時、私たちは理屈を並べたり、議論したり、頭で理解できるかどうか試す必要はありません。それは私たちのすべき役割ではないからです。もしそれが神の思いでなければ、たとえ従った後でも神はそれを反故にし、私たちを守り、必ず祝福するからです。とにかく神の啓示を得たら前進することです。

 

3 主に信頼せよ

 

  箴言3章5節に「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け」とあります。理性で判断すれば混乱を招きがちです。それは色々な意味で危険なことです。その理由の一つは、「頭で納得できるような理屈は、いくらでも作り出せる」という点です。頭で納得したからと言って、それが正常であるという保証はありません。実際には間違っているということはたくさんあるのです。

 人は、論理と秩序と理屈とを好みます。人は問題が起ると「理性の箱」におさめようと奮闘します。それが完成すると納得します。しかしそれが的はずれの場合もあります。パウロは、ロマ9章1節で、「私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いませんでした、と確信を語っています。それは、自分の理性が正しいと判断したからでなく、自分の霊(良心)が、聖霊に導かれて「正しい」判断したからであると告げています。理性と私たち霊は共に補い合いながら働くのですが、霊は理性よりも優れた器官であり、理性よりも重視されるべき存在です。

 納得できないのは、信仰の成長のためにあるのです。神の思いに信頼するのは難しいのですが、それを選択することで、私たちは穏やかな心を保つことができます。

 理性を活用すると心は忙しく働きます。その忙しさの中で見抜く能力は低下し、結果として神の語る声を聞き逃します。堂々巡り、混乱するまで疲れ果て、勘や理屈によってでなく、平安な心が与えられるよう神を信頼することを学ぶべきです。それには損害も辞さないことです。

 

適用

 

 あまり多く知りすぎない方が幸せでいられます。多く知りすぎたため惨めになることがあるからです。また知らない方が人との関係を円満に過ごせる場合もあります。好奇心旺盛で、納得するまでとことん追求するタイプの性分の私に神は教えてくださいました。善悪の判断を得たいのか? 白黒つけたいのか? もしそうなら、もうこれ以上物事を人間的に判断してはならない。人の真実を知ったからどうなるものでもありません。その人を変えることすらできないからです。ただ祈り、神を信頼し、委ねること以外に救いはないからです。正常な心でいられるよう、心に目を向けましょう。

 

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