「正常な思考の状態 」
信仰を持つ私たちの正常な心の状態とはどのようなものでしょうか? この点を考えるにあたり、まず心と霊の働きの違いを見ていきましょう。
1 心と霊の繋がり
聖書によると心と霊は繋がっています。心は霊の部分と魂の部分、特に思い・知性の部分とに関係しています。したがって魂(思い)と霊の繋がりを厳密に見れば「知性と霊の補い合いの法則」があります。 神の思いや考えを知る唯一の存在は聖霊ですが、それは私たちの内に宿り、神の知恵や啓示を私たちの霊の目を開かせ、魂の機能である思い・知性で理解できるように働きかけます。
かくして「霊的レベル」で与えられた啓示が、私たちの「日常のレベル」で理解できるようになるのです。 「人間的なもの」は必ずしも「霊的なもの」を理解できるわけではありません。ですから「心の目が」開かなければ、霊的なレベルで起きていることを理解できません。聖霊は、私たちに光を与え、神からの啓示を知性で理解できるように願っています。
しかし、私たちの心はあらゆる雑念にとらわれているため、聖霊のサインを見逃してしまいがちなのです。それは余計な事ばかり考えて余裕のない心、理屈や不安や恐れで支配されている心は「異常な状態」です。しかしこころに余裕があり、穏やかで、安らいでいるならばそれは「正常な状態」です。 神は「正常な心」である人の霊を通して語ってくださいます。
イスラエルの王妃イゼベルはエリヤの殺害を予告しました。それを聞いた預言者エリヤは恐れ、直ちに逃れ、四十日四十夜歩いてホレブ山に行きます。洞窟に入って夜を過ごした、その時主の言葉があった、「外に出て、山の中で私の前に立ちなさい」と、その時、神が通り過ぎたのです。激しい風が起り、岩が砕け落ちましたが、その風の中に主はおられませんでした。地震が起り、火が燃えましたが火の中にも主はおられませんでした。火の後に、「静かにささやく声」が聞こえたのです(列王記上19章11-12節)。
多くの人は「求めるなら必ず与えられる」というみことばを信じ、祈りますが、知恵と啓示が与えられず「霊的落ちこぼれ」なのではないかと感じることが多くあります。それは自分自身の落ち着かない心が神の声を妨害しているからです。 こう考えてみてください。ある人が別の人に向かって小さな声で秘密を語ろうとしています。しかし部屋の中は騒がしく、相手の声を聞き取ることができません。騒音が邪魔して、その声を待っているもう一人の耳には届かないのです。神の霊と私たちの霊のコミュニケーションも、これと同じです。聖霊は、「静かなささやく声」で私たちに語りかけます。その声を聞き逃さないためには、穏やかな心の状態を保ち続けることが必要です。
2 霊と知性(魂)
「知性と霊の補い合いの法則」をよく理解するためには、まず祈りについて考える必要があります。Ⅰコリント14章15節で使徒パウロは「霊で祈り、知性でも祈ることにしましょう」と語っています。内側に宿る聖霊に導かれて、時には異言で祈ったりしていると、自分の理解できる言語で、祈りの課題が心に浮かんできます。
これこそが知性が、霊を補っている様子です。つまり、知性が共に働くことで、「霊的なレベル」にある神の知識と知恵の働きかけを、「日常的なレベル」で理解することができるのです。 これとは逆に働くときもあります。いくら祈っても霊の内に祈りの課題が与えられないことがあります。そんな時は、頭の中に思い浮かぶことを、とりあえず祈ってみるのです。そうしているうちに内側の聖霊が「グイッ」と引き込む瞬間があります。自分の意志だけでなく、聖霊が祈りの課題として、自分に示しているのだと確信するのです。
適用
ここまでの内容から知性(心)と霊は繋がっており、補い合いながら共に働いていることがわかりました。互いに影響し合う関係にありので、心は正常な状態に保たれていなければならないのです。そうでなければ、心(知性・思い)は霊の働きを助けることはできません。層でなければ霊的に満足した人生を歩むことはできないのです。 実はサタンもこの事実をよく知っているので、サタンとその手下である悪霊は「思考と言う名の戦場」で戦いを仕掛けてくるのです。
間違った心で満たすために、嘘を語り、惑わし、常に平安のない状況を作ろうとします。サタンは魂の一領域である「知性と感情」を通して働き聖霊の働きを妨害して来るのです。心はいつも穏やかでなければなりません。預言者イザヤが語るように「堅固な思いを、あなたは平和に守られる。あなたに信頼するゆえに、平和に」(イザヤ26章3節)。つまり、いつも神様に信頼し、いつも神様のことに思いをはせる者を、神様は何の心配もないように守ってくださるのです。みことばに反した間違った考えを持ち続けたままでは心に休息は与えられません。あなたの心は正常な状態にあることが多いでしょうか、それとも異常な状態であることの方が多いでしょうか? もう一度考えて見ましょう。