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「 どのように教会は造られたか 」

    神にとって教会は、御自身の心の願いが実現する重要な場所であります。しかし神の満足する教会は歴史的な教会と同じものではありません。それは新創造の教会と言ってもいいもので、決して人間が作り出したものと同じではありません。では神の考える教会とはどのように造られたのでしょうか。その事について考察してみましょう。

 

 

1 アダムとキリスト

 

     「教会はキリストの体である」と聖書は告げているように(エフェソ1章23節)、教会を造るためにキリストが用いられました。主は教会のための材料です。同じようにエバは、塵からではなく、アダムから造られました。エバがどのように造られたかを見ることによって、教会がどのように造られたかを知ることができます。 創世記2章を見ると、神はアダムを眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つをとって、エバを造りました(21-22節)。神はアダムを死なせたとは言っていません。ただ彼を深い眠りに落されたと言っています。まだ死が発生していない段階でした。   死は罪を犯した後に発生しましたが、この段階では、まだ堕落以前でしたので、死は罪の贖いとは無関係でした。そこでここでは死の同義語の表現である「眠り」が使われていますが、それは命を受けるための死を暗示しています。エバはアダムが眠った時、命を受けました。同じようにキリストの死には、罪の贖いのための部分の他に、教会に命を分け与えるための部分があります。 アダムが深い眠りに陥ったとき、神は彼のあばら骨を取ったように、キリストが死なれた時、わき腹を槍で刺し貫かれました。それは贖いの為ではありませんでした。なぜなら刺し貫かれたのはイエスの死んだ後になされたからです。死を早めるために骨を折ることになっていたのですが、既に死んでいたのでローマの兵士は骨をおらず、代わりに槍でわき腹を刺しました。すると血と水が流れ出ました。

    これは罪の贖いに対処する血のほかに、主の命を私たちに分け与えることを予表する水を流し出すことを啓示しています。イエスの死の第一の面は、創世記3章の人の堕落後に起こったことに対処し、第二の面は罪とは何のかかわりもなく、彼の命を解き放つためのものです。それは血と水で啓示されています。 もう一度、創世記2章23節を見ましょう、あばら骨から女を作り上げたとき、アダムは「これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。・・・」と言いました。聖書が復活の人に言及するとき、「肉と骨」として述べられています。血は述べられていません(ルカ24章39節)。神はエバを造るとき、アダムのあばら骨を使いましたが、血は使いませんでした。創世記2章には血の記述が全くありません。なぜでしょうか。それは、その時には贖いの問題がなかったからです。血が述べられる時は常に贖いがからんでいます。血は贖いのためです。エバの創造では罪がまだなかったので血が述べられていないのです。 

 

2 新創造の教会

 

        エフェソ5章25節を読むと「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」と言います。ここで三つの点に注目する必要があります。第一はキリストの死が教会のためであったと言う事です。キリストは私たちが教会であるゆえに御自身を与えられたと言う事です。第二は、キリストは私たちを愛するゆえに御自身を与えられたと言う事です。第三は、キリストは私たちの罪を何ら問うことなく、御自身を与えられたと言う事です。ここでは、全く罪が問題にされていません。人が堕落した事、贖いの必要がある事を神は知っていますが、神の見地からすれば、教会は決して罪を犯したことなく、決して罪に関係したことがないのです。

     それは私たちの中には贖いの必要ない部分があるからです。これがキリストから受けた部分です。この部分が、新創造の教会です。エバはアダムから出てきました。彼女は罪が発生する前に造られました。エバには罪が全くありませんでした。同じく、教会はキリストから出てきます。 多くの人は、教会とは罪から救われた人の集団と考えるかもしれませんが、創世記2章が示す最初にあった教会は罪の歴史を持ちません。罪が何であったかを知らないキリストから出た部分が神の計画された教会です。したがて、エバは神によって造られた団体の人、ただキリストだけである教会です。

    教会とは、あらゆる国民、人種、あらゆる人々の構成ではなく、キリストから出て来るものだけです。多くの人たちがイエスを救い主と信じ、その結果として教会になると言うのではありません。

  

適用 

     神が見てもらいたい教会は、罪と全く関係なく、キリストから出て来た部分です。エバの創造は、神のみこころと神の心の満足の為でした。教会もまた神の満足するものでなければ新創造の教会とは言えません。教会にはサタンの働きを滅ぼす役割もありますが、ただそれだけではありません。神が計画された教会の創造は、神の権威を行使することです。そこには罪のどんな臭いも全く入っていない教会です。

    キリストからのもので満ち、キリストが教会の命そのものです。「しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会」を造ることを私たちもめざさなければなりません。主のお言葉をそのまま受け入れ、聖められた生活をなそうと求める時、聖霊が働いて教会を造り出すのです。

    聖なる生活、愛の生活を捜し求めなければ教会は樹立できません。皆さんの祈りの祭壇は崩れていないでしょうか。破れはないでしょうか。もしそうであるなら急いで修復していきましょう。その時、あなたの教会が建て上げられ、主はあなたの前に立ち現れることでしょう。そこには悲しみも、痛みも、病も克服された新創造の教会が立ち現れます。

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