「 地上の回復の使命 」
主イエスが私たちに祈れと教えられた祈りは、「御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも」(マタイ6章9~10節)とありますが、これは「御名」「御国」「御心」が「地上」に行われることを願われたのです。これは「天」には何の問題もなく、問題は「地上」にあることを啓示しています。主の私たちに望んでいることを地上の回復です。
1 なぜ回復するのか
人の堕落の後、神は蛇に言われました、「お前は、生涯這いまわり、塵を食らう」(創3章14節)と。これは地上が蛇の領域であり、蛇が這いまわるところであることを意味していますが、その背後にいるサタンを指しています。サタンの働きの場は天ではなく全地です。もし「御国」が来るとなれば、サタンは追い出されなければなりません。「御心」がなされるとなれば、それは地上でなされねばなりません。
「御名」が崇められるとするならば、それは全地で崇められねばなりません。私たちはすべての問題の根源は、このサタンの介入により人が果たすべき使命を失ったことにより、地上にあることを見ます。本来、神は人を堕落するように予定されたのではありません。また贖いも予定されたのでもありません。神は人をこの地上を治めるように定めました。
しかし、人間の創造前、光の天使が神に反逆してサタンとなったのです(イザヤ14章12~15節)。そこで神はその天使の権威を剥奪し、代わりにそれを人の手に置かれたのでした。人間の使命は、サタンに代ってこの地上を治めることです。それなのに、今日、サタンが地上を支配しています。そこで聖書は「地は混沌として空虚になった」(創1章2節)と記しています。神の本来の意図は地上を人が勝ち取って、住み家とすることでして、全地が荒廃することではありませんでした(イザヤ45章18節)。しかし人はサタンの誘惑に負けてしまったのです。
今でもサタンはこの地上で、破壊のわざをしているのです。こういうわけで神は人がサタンの手からこの全地を奪還すること、回復することを願われ、人を創造されたのでした。そして神は「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、・・・を支配させよう」(新改訳、創1章26節)と言われました。文はこれで終わっているように見えますが、もう一句「地を這うすべてのものもの」が付け加えられています。ここで私たちは「這うもの」が非常に大きな地位を占めていることを見ます。ここに含まれている意味は、人が全地の上に主権を持つには「這うもの」が見逃されてはならないと言う事です。
這うものを代表する蛇は、サタンであり、罪深い悪霊を代表するのがさそりです(ルカ10章19節)。ここで私たちは人の魂を救う働きと神の働きとの相違を見分けなければなりません。前者は人の問題を解決することですが、後者は人が万物を統治する主権を行使することです。魂を救う事は、しばしば人の福祉のためで、人の必要を解決することですが、サタンに対処することは神の必要を満たし、全地を回復することです。聖書研究、福音伝道、教会や兄弟姉妹たちを助けるためには自分の中にある何かにすがっていてもいいのですが、サタンを対処するには自分を徹底的に放棄しなければできるものではありません。みことばにしっかりしたがう以外に勝利は与えられません。これは一見、非現実的ですが、もっとも実践的な方法なのです。
2 神の目的
人は堕落し、罪を犯し、エデンの園から追放されました。しかし、サタンのわざを滅ぼすように人に与えた神の委託は依然として存続しています。人が全地を治めること、人にはそんな価値も力も断じてありません。しかし神の目的は変わっていません。最初の人アダムは堕落し、サタンのわざを絶滅しなかった。そこで主イエスがこの地上に来られ、「最後のアダム」となられ(Ⅰコリ15章45節)、「すべての人のために死んでくださったのです」(ヘブル2章9節)。この「すべての人」は、「すべてのもの」と訳すことができるのですが、主の十字架が、すべての被造物のためであることを示しています。主イエスは、神にとって、サタンを覆すように期待した人であり、サタンの力を覆した人そのものであったのです。また私たちにとって、罪をあがない、すべての被造物のために裁かれた救い主です。
神は最初の人アダムによって達成できなかったものを、第二の人キリストを通して達成するよう計画し、サタンを滅ぼし、全地を回復するために人となられたのです。主イエスは御子であられると同時に父なる神でした。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。・・その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」(イザヤ9章5節)とあるようにです。ここで神がこの世に来られたのは人となるためであったことに注目しなければなりません。神御自身がサタンを対処するなら、容易に倒したでしょうが、神は人によってサタンに対処することを願われました。被造物が被造物を対処すべきであると意図したのです。神の目的は、単に私たちを地獄から救い、天の祝福を満喫させることではなく、私たちが全地に神の権威を行使する神の働き人の一群を得、サタンがもうこれ以上この地上にとどまることを許さないようにすることです。そのために神の命を得るように福音を宣べ伝え、神にしたがう人を獲得するのです。そしてもう一つは教会を建造することです。これは神の領域の拡大し、サタンを滅ぼす要塞なのです。
適用
神は人を創造された時、真の満足を得て、安息を持ちました。神の目的は全地を治めることの権威を持った人間を得ることでした。これが実現する時、神は休息します。その人は主の復活の命を分け与えられたキリストから出て来る団体の人です。それが「教会」です。私たちが真の教会となるのは、二つの段階が必要です。キリストが拡大し増し加わることと、私たち自身が消滅することです。主は来る日も来る日も私たちが救われて以来、私たち自身を消滅するために働き続けておられます。キリストから出て来るものだけが教会であり、人から出て来るものは何であれ教会ではないからです。
私たちが認識しなければならないことは、物事の源泉であって、善いか悪いかではありません。「それはどこから来たのか」を神は問われるのです。アダムから出て「来たのがエバであったように、キリストから来たものが「教会」と呼ばれるのです。あなたの愛がどこから来ますか? あなたの熱心はどこから来ますか? 人を助けるための熱心はどこから来ますか? キリストの愛がなければ一切は無益なのではないでしょうか(Ⅰコリ13章3節)。問うべきは源です。この全地をサタンの支配から救い出すには、教会が必要なのです。