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「 主の復活の中にあるしるし 」

    聖霊には神が持っているものすべてが含まれていることを見てきました。そして聖霊を通してそれらは私たちの中に入って来ました。ですから神と神のものすべてに触れるには、聖霊に触れねばならないのです。そしてこの聖霊に触れる時、私たちは復活を生きることができ、様々な霊的経験を持つことができるのです。聖霊の中には神の要素、人の要素のほかに死、復活、昇天の三つの要素が一つに結び合わされています。死と復活は密接に結合し、復活と昇天も密接に結合しています。

 

 

1 死と復活の結合

 

    パウロはロマ書6章でイエスの死について語っていますが、復活についても述べています。「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」(5節)。これは、主の死を経験する人はすべて、死人の中から復活させられることを意味します。それから8章は、復活は聖霊の中にあることを示しています、「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」。つまり、復活の霊によって生きるのです。

   聖霊は、私たちの霊を復活させるだけでなく、私たちの全存在、死ぬべき体にさえ命を与えて下さいます。かくして聖霊は、復活の霊でもあります。聖霊と復活について語っている8章は、死について語っている6章に続き、結び合されています。よって死と復活は互いに結合しているのです。主の復活に触れるには、主の死に触れねばなりません。

 

2 復活と昇天との結合

       復活は死と結合しているように、昇天とも結合しています。主の復活の証しの書である『使徒言行録』で使徒ペトロは昇天の物語、昇天の状態を復活と結び付けて述べています、「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました」(32~33節)。昇天は、復活と独立したものでなく、復活に依存しているもの、昇天は復活の主題の中にあるものなのです。ここに私たちは、復活のある所に昇天があり、昇天なしに復活を持つことは不可能であるとはっきりと見ます。

    エフェソ1章では、主の復活の力について語っています、「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました」(20~21節)。この復活の力は、主を死から甦らせ、天で神の右に座らせ、すべての支配、権威、力、主権、そして今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名を超えてはるかに高くされました。これは私たちに復活が昇天をもたらし、昇天は復活と結びついていることを見せています。 以上の事から、死と復活と昇天は一つに結合しているのを見ます。

     よって聖霊の中には、五つの主要な要素、すなわち、神の要素、人の要素、そして死、復活、昇天の要素があると言えるのです。そして主イエスは神、人、復活であり、復活の中には死と昇天の要素が含まれており、聖霊の中に神、人、復活があるのです。3 復活の基礎 では復活の基礎は何でしょうか? それは命です。花の種が死んで、復活するには命がなければなりません。この命の表現が復活です。主の受肉は、神を人の中にもたらしましたが、人を神の中にもたらしてはいませんでした。そして洗礼を受けられ死をもたらし、水から上がられた時、復活の人となりました。私たちクリスチャン生活も死んで生きる生活です。

     主イエスを救い主と信じる時、神が私たちの中に入られます。これが「受肉」です。神と共なる生活が目標ですが、それには死ななければなりません。そこで洗礼を受けるのです。ロマ6章は、洗礼を通して私たちは死んで、主と共に復活させられたと言います(3~4節)。復活の後に、人は神と共に歩むのです。これはインマヌエルです。すなわち神が人と共にある生活です。聖霊が私たちの中にもたらされた目的は、その中にある神の要素、人の要素、復活の要素を私たちのもたらすことです。聖霊に満たされた人は、神の味わいを感じ取ることができます。俗的でなく、思い上がらず、愛に満ちています。また人の味わいもあります。また復活の味わいもあります

  

適用 

  では何が復活の味わいでしょうか? そこには死のしるしと天のしるしがあります。復活の前は死であり、復活の後は天です。死には二種類あり、一つはサタン(アダム)から来る死であり、滅びに至らせます。もう一つは神(キリスト)から来る死であり、救いに至らせます。創世記2章の死は、消極的な死であり滅ぶ死ですが、これに対してロマ6章の死は、積極的な死、命を受けさせる死です。多くのクリスチャンは絶えず祈り、断食し、涙を流してロマ6章の死を得ようとします。その死は好ましいからです。誰かがある兄弟の悪口を言う時、忍耐し怒らないのは、死のしるしです。この人は復活の中に生きており、その人の中には死のしるしを帯びているのです。

  もう一つは天の味わいです。天の領域にある権威です。天とは、私たちの中にある神と矛盾しないすべてのものを指します。みことばとも矛盾しないことです。こうしてこれら死のしるしと天のしるしをもつのが復活の味わいとなって表現されます。それには聖霊に触れる必要があります。復活のすべては聖霊の注ぎによってもたらされます。これによって造り変えられた生涯が与えられるよう祈っていきましょう。

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