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「 聖霊の輝かし出す七つの目 」

    主の復活のすべては聖霊の中にあります。したがって私たちが聖霊に従って生きるのは、主の復活の中に生きることでもあります。十字架は主の死ですが、聖霊は主の復活です。

 

 

1 主の到達

 

     ヨハネ黙示録4章と5章において二つの絵を見ます。第一の絵は天の御座の絵で、神の七つの霊であるともし火が御座の前で燃えているものです(4:5)。第二の絵は、御座の前の四つの生き物の間に屠られたような小羊が立っており、小羊には七つの霊である七つの目がありました(5:6)。「屠られた」とは、死に言及し、「立っている」という表現は、復活に言及しています。    「屠られたような小羊が立っている」ということが象徴するのは、主が死んだだけでなく、再び生きておられるということで復活されたキリストを見せています。御座の前の七つの霊がともし火であるのは、神が焼き尽くす火であり、その火が神から来るからです。私たちを恐れさせないために、神はこの火をともし火のなかに置かれました。またその火は、神の霊であり、ペンテコステの日に、聖霊は火として注ぎ出されました。

    また元来、神の七つの霊は、神の七つのともし火でしたが、主の復活の後、神の七つの霊は七つの目になりました。かくして黙示録第4章で、神の霊は宇宙を照らす七つのともし火でしたが、第5章では、屠られた小羊が立っており、キリストの死と復活の後、神の霊は全地を観察するキリストの七つの目になりました。この主の目が見る所はどこでも、主の霊が到達し、主の光が輝き、主の火が燃えているのです。 では復活された小羊であるキリストは、人が接触し受け入れるために御自身をどこに置かれたのでしょうか?

    復活の主は、御自身を人の霊の中に入れ、聖霊と成られたのでした。かくして復活のすべては、聖霊の中にあるのです。キリストは、復活であり、今や人が受け入れることができる聖霊です。言い換えれば、天におられるキリストが地上に到達し、人に接触できるのは、主が七つの霊の中に入り、七つの目を通して広がるからです。七つの霊は聖霊です。七と言う数字は、完全を意味します。よって復活された主は聖霊となり、人の内側を見つめ、人の中に入り、人と接触し、交わりを持ちます。聖霊は、主を放ち、輝かし出す目です。聖霊が見るところどこでも、主が輝き、主が到達し、主との交わりが持てます。そして主は動き出し、働かれます。

 

2 復活の実際としての聖霊

 

       私たちは復活の人であり、復活に触れてみたいなら、聖霊に触れなければなりません。聖霊のあるところはどこでも、復活があります。聖霊の外には復活はありません。聖霊が復活なのです。この事は私たちの経験が証明します。天然の命の中で生きている時は、いつでも自己と肉の中で生きており、復活された主の中で生きることはできません。したがって主の死の十字架を受け入れ、聖霊の中に生きる時、私たちは復活の中で生きるのです。

     ですから聖霊に満たされて生きる人は復活の人なのです。聖霊を知らずに、復活の話は無意味です。なぜなら聖霊は復活の実際だからです。ペンテコステの聖霊は、復活したキリストの具体化です。神はまなざしをもって私たちを訪れます。主が私たちを見つめておられることに気づくことが第一段階です。それは気づかせられることです。

     その後、第二段階ですが、私たちの内なる存在が照らされます。ひどく汚れて腐敗しているように感じるのはそれです。第三段階は、聖霊が燃えることです。それは私たちを燃やし、復活の中で生きていることを実感します。復活の力を実感します。それは聖霊は私たちの中へと入って来るからです。これによって私たちは、この世、罪、サタンに勝利し、耐えられないことに耐え、迫害を受け、殉教する内側の力があります。

   この力は、パウロが「並外れた偉大な力」と言っているものです(Ⅱコリント4章7節)。土の器である私たちの中にはこの神のものである大いなる力があり、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、打ち倒されても滅ぼされないことを可能にします(8-9節)。またこの復活の力は、苦痛や苦難を恐れることなく、聖なる生活を生きることができるようにします。

  

適用 

  神の霊は、神の七つの霊、神の七つのともし火、神の七つの目です。この目が私たちを見つめる時、私たちの存在は輝き出します。その目は存在の中で燃え、私たちの霊の中に入って来られ、環境を変えていきます。自分では生きることができないような生活を生きるように導きて行きます。どうか復活の領域から出ることがないように注意しましょう。神を抜きに考え、愛したり憎んだり裁いたり、決定する事がないように注意しなければなりません。そうするならば、肉の中で生きるからです。

    主のみことばをいただき、主の祈りの中で祈り、復活の中に入り導いていただくことです。主の統治の下で私たちの思い、感情、意志を導いていただくことが復活なのです。これが聖霊の充満の生活なのです。主の復活の霊から離れたらすぐに霊に戻る習慣をつけましょう。

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