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「 死と復活の原則 」

    肉の支配下にある者は、神に喜ばれません。キリストの霊を持たない者は、キリストに属しません(ローマ8章8-9節)。ではどのようにしてキリストの霊を持つのでしょうか。イエス・キリストに関する二つの大きな原則があります。一つは、受肉であり、もう一つは死と復活です。受肉を通して、イエスは神を人の中へともたらしました。そして彼の死と復活を通して、イエスは人を神へともたらしました。この到来と進行は、神が人の中に宿り、一人の人を得ることでした。この人は、天然の人ではなく、死と復活を経過された人でした。

    この人は、霊の内に神の霊と人の霊とを持つ人であり、復活の人でした。神の要素と人の要素の両方を見ることができるのは、この人、イエス・キリスト以外におられません。この二つの要素は、それぞれ分離して存在するのでなく、神性は人性の中にあり、人性は神性の中にあります。しかしこうなることは永遠における神の計画の目的でした。

     この達成の為にはどうしても、受肉と死(十字架)と復活の手順が必要でした。神が達成されようとする目的は、御自身を私たちの中に造り込み、同時に、私たちをご自身の中へと造り込むことです。こうして完全に神性と人性が一体となることです。愛の神は、私たちと一心同体になりたいのが願いなのです。この目標が達成できれば、新エルサレムが出現します。

 

 

1 死と復活

   死と復活の原則は、人を神の中へともたらすことです。主イエスの受肉は、神が人を着て、人の中に入る事でした。そして主イエスは、人を着て死を経過して復活の中へと入られました。そして御自身が着た人を復活の中へともたらしました。それでは、復活とは何でしょうか? 復活とは、神の範囲、領域です。主イエスは死んで復活されました。つまりイエスは御自身が着た人を神の領域へともたらしたのです。私たちがこれらの事柄を見るには、聖霊の光と啓示がどうしても必要となります。天然の思いでは、十分に理解できるものではありません。

     人の思いを超えているからです。有限であった人が無限となられたからです。復活の中で、イエスは「力ある神の子と定められた」のです(ローマ1章4節)。受肉において、主イエスは「人の子」として現れましたが、死と復活の後、「神の子」として現れました。受肉においてイエスは人々の間に「人」として現れましたが、復活の後、人々の間に「神」として現れました。〈人の命〉を生きるために受肉し、〈神の命〉を生きるために死んで復活されました。 イエスは受肉される前、既に神でした。死と復活の後、再び御自身を神として表現されました。しかし、その時表現された神は、受肉前に表現された神とは大いに異なっていました。その違いは何だったのでしょうか?

     受肉前に表現された神としてのイエスは人性を持っておられませんでしたが、受肉後、神としてのイエスは人性を所有していました。彼の中にあった神性は自然に表現されました。復活の後、表現されたものは神の生活でしたが、それは人性が自然に表現されていました。つまり死と復活は、決して人性を無効にすることではありませんでした。人の持つ感情や意志や思いが無くなるのではありません。 怒るのは霊的でないと思ってはなりません。多くのクリスチャンは、霊的な人はいつも柔和であると思っています。また霊的な人はどんなにいら立っても短気を起こさないと思っています。しかし主イエスでされ怒りました。叱責されました。パウロでさえこう言っています。「あなたがたの望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか」(Ⅰコリント4章21節)。 こういうわけで霊的な人は、感情の無い人ではありません。霊的な人であれはあるほど、感情は豊かです。真の霊性とは、死と復活の結果なのです。死と復活の原則は、人を神の中へともたらし人を神の内容とすることなのです。こうして人を通して神の命が生かし出すことができたのです。

 

2 神の味わい

 

    私たちは救われる以前、みな罪の中におり、罪の奴隷でした。人には神がありませんでした。人の中にあったのは、罪、サタン、この世でした。しかし、今やキリストの贖いによって、これらの者はすべて取り除かれて、神の要素が私たちの中へと加えられました。しかし人である面は無効にされませんでした。よってペトロにはペトロの味わいがあり、ヨハネにはヨハネの味わいがあり、ヤコブにはヤコブの味わいがあります。死と復活は、人を無くすのでなく、人を神の中へともたらします。それぞれの味わいと性格をもって神御自身を生かし出すのです。ですから霊的なふりをする必要もありません。強情な人は、死と復活を経過した後でも、強情さは残りますが、その強情さには神の味わいがあるでしょう。そこには神の要素が加わるからです。同じように、性急であっても、その性急さは神の中にあるのです。そこではみな美しい光景を見るのです。神の味わいと神の栄光を持っているからです。これは死と復活です。

  

適用 

  人はみな個性があります。これらは必要でありますが、それが神の中へともたらされることを学ぶ必要があります。誰も同じではありません。みんな特性があります。味わいがあります。人をまねることはありません。イエスをまねる必要すらありません。復活の主イエスの霊の中で生きることを願われます。神の領域の中で、神のみことばに従い、生きる時、復活の命の霊が動きださし、祈りが聞かれるようになります。神の祝福を充満させましょう。

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