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「 長子の権利の享受 」

長子の権利とは、おもにキリストに結び付くこととキリストに与ることです。私たちは長子ですので、この特権を失わないようにしましょう

1 ヤコブの子たち

族長ヤコブは、ラケルによって生まれたヨセフの二人の子エフライムとマナセを祝福し、レアによって生まれたルベン、シメオンに置き換えて、最初の二人の子としました。ヤコブには12人の子どもがいましたが、

次男シメオンと三男レビは残虐さのゆえに(創34:25~30)、祝福を受けませんでした(創49:5~7)。 ただレビだけは後に更新され、祭司職の祝福と、神のウリムとトンミムを受けました(申33:8-9)。神の意図したことは、イスラエル全体が「祭司の王国」となることでした(創19:6)が、レビ族を除いて大部分は金の子牛を拝んだゆえに祭司職を失いました。神の意図はすべてのクリスチャンが祭司となることです(黙1:6、5:10)。

また長男のルベンは、情欲の汚れのゆえに長子の権利を失いました(創35:32)。そして長子の権利の地の二倍の分け前は十一男ヨセフに与えられました。これは彼の純潔さの故でした(創39:7~29)。そして地の分け前はヨセフの二人の子が受け継ぎました(ヨシュア第16章、第17章)。

また長子の権利の祭司職の分け前は、レビに与えられました(申33:8~10)。

さらに長子の権利の王職の分け前は、四男ユダに与えられました。それはヨセフが彼の兄弟たちの陰謀で苦しんでいた時、ユダはヨセフの味方をしたからです(創37:26)。弟のベニヤミンが苦しんでいた時も、ベニヤミンの味方をしました(創43:8~9、44:14~34)


2 長子たちの教会

今日、私たちは「長子たちの教会」です(ヘブル12:23)。私たちの長子の権利もまた、この三つの要素から成っています。

⑴ キリストの二倍の分け前、

⑵ 祭司、

⑶ 神の王です。

しかしながら、多くのクリスチャンは長子の権利を失いました。救いは失う事はありませんが、キリストの特別な分け前を失いました。失いたくなければ、「聖なる生活」をしなければなりません。聖潔の道を歩むことです。すべてのクリスチャンは再生されて、祭司となりました(黙1:6)。しかし今日、多くは祭司職を失いました。祈りの立場を失ったために、祈るのが困難です。祭司職を守りたければ、レビ人のようになって、私たちの父母や兄弟や自分の子供のことを忘れて、神の権益を顧みなければなりません(申33:9)。家族が第一ではなく、神の願いが第一でなければなりません。そうなれば祭司職を守れます。

すべてのクリスチャンはまた再生されて、王となりましたが(黙5:10)、その多くは王職(キリストとの共同の王となる権利・黙20:4~6)を失いました。 ヘブライ12章16~17節は、私たちがエソウのように、長子の特権を失う事がないようにと警告しています。私たちはすべての人と平安に過ごし、エソウのように俗悪、みだらな者となって長子の権利を失う事がないようにしなければなりません。彼はそれを手放したことを後悔しましたが、再びそれを取り戻すことはできなかったのです。 私たちは神から生まれ、神が創造に中で収穫される被造物の初穂(ヤコブ1:18)です。この意味で、私たちは神の長子です。ですから、長子である私たちから構成される教会は、「長子たちの教会」(23節)と呼ばれています。神の長子として、私たちは長子の権利を持っています。これは、地の嗣業[人の住む地](ヘブル2:5)、祭司職(黙20:6)、王職(黙20:4)を含みます。それらは来るべき王国における祝福です。「一杯の食物」であったとしてもそれらを失わせるに十分です(創25章34節)。 ルベンもエソウも失いました。それを維持するのは、不敬虔や汚れることから守られるかどうかにかかっています。聖潔な生活をしたヨセフは二倍の分け前を与えられました。神に徹底して仕えたレビは祭司職を得ました。ユダは慈愛を以って兄弟たちに接したために王職を得ました。私たちも祝福を得たいものです。

 適用 

ローマ私たちは長子たちの教会を建造し、キリストを他のクリスチャンよりも二倍享受し、聖霊で満たされますように、また絶えず復活の生ける主の霊と接触する祭司となり、人々を、慈しみをもって統治する王となることができますように祈り、キリストにあるすべての恵みを享受しましょう。


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