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「 行き詰まりにあっても 」

       使徒パウロは人の愛に行き詰まりを感じた。コリントの教会の人々はパウロに対して誤解し、疑い、あからさまに非難した。それで「あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか」(Ⅱコリ12章15節)と悲鳴を上げている。コリント後書(「コリントの信徒への手紙 二」の別称)は、生地のままのパウロが出ている。善いところも悪いところもさらけ出して人の批判を受けていることをざっくばらんに綴っている。そして傷ついた彼の魂は神により慰められた。

   「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失った、それは死の宣告の如きであったが、死者を復活させる神を頼りとして希望を持った」と言っている(Ⅱコリ1章8~10節)。これは紀元54年頃、パウロが第3回伝道旅行の途上、マケドニアに滞在して執筆したのが、この「涙の手紙」であった。コリント前書では、「賜物」が主な主題となっているが、コリント後書では、「賜物」は「務め」に置き換えられて「奉仕の務め」が主題となっていることも特徴的である。

 

 

1 奉仕の務め

 

      その第一は、キリストの凱旋行進の祝賀のために、捕えられた捕虜として、同時に、キリストの香ばしい香りを運ぶ者、聖霊の浸透・征服されている人(2章14~16節)。

 第二は、神のみことばを利益のために混ぜ物にしたりしない者(2章17節)。

 第三は、内住のキリストによって書かれた生ける「手紙」でキリストを伝える者(3章1~7節)。第四は、キリストの栄光を見つめ、映して、主の栄光のかたちへと造り変えられる鏡である者。第五は、卓越した宝である栄光のキリストを入れる土の器の務めとして内住のキリストを入れている者(4章7節)。

第六は、人を神と和解する者(5章18節)。

 

2 奉仕者の特質

 

     あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています」(6章4節)。パウロは他の書で自分を「奴隷・しもべ」と呼んだが、この書では、主に「仕える者・奉仕者」という言葉を当てている。使徒は、主のしもべ・奴隷であったが、奉仕者・仕える者となった。

 「奉仕者」と言う言葉は、主の何かかが、ある人の中へと造り込まれ、主の奉仕者となること。オネシモは奴隷であったが、彼の主人フィレモンの良き奉仕者ではなかった。やがて逃亡して捕縛されたが、牢獄でパウロと出会い、改心し、主に服従し、主の考えと願いを行う者となり、再びフィレモンの下で良き奉仕者となった。主の心が練り込まれたオネシモは、主の務めを行う奉仕者となった。主の奉仕者はいかにしてなるのか?

  それは苦難と恵みを通してキリストの奉仕者となると言う。忍耐、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、悪評、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓、投獄、石打ち、難船、漂流、旅、川の難、盗賊の難、偽兄弟の難、苦労、困難、飢え渇き、寒さと裸、やっかい事、あらゆる教会についての心配事、自分の肉体のとげがあったが、奉仕の務めは、これらの中から出て来る(6章、12章)。こうしてパウロは、「弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足した。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いから」(12章10節)と言う。これは奉仕者とその務めの記述で、務めは苦難、また恵みとしての主御自身の真の経験から出てくる。強さと力は、私たちの恵みなる主御自身なのである。

 

3 奉仕者の生命力

 

      奉仕者には苦難を打ち破る工夫が必要である。それは生命力に根拠を置いている。奉仕者は人の評判も気にせず、死も病気も気にかけない。たとえ貧乏していても、少しも心配しない。そんな心持を述べている、「わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、殺されておらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一文のようで、すべてのものを所有しています」(6章8a-10節)と言っている。手品師のようである。悪評をうけても少しもひるまない。貧乏のように見えても、人に施している。病気かと思えても、大丈夫。

  つまり、奉仕者の務めの第一は、行き詰らない生活である。そのための工夫と、生命力が必須条件なのである。実際、パウロは行き詰まるような事態にしばしば直面した。彼はもとクリスチャンを迫害していたというので、なかなか信用してもらえなかったし、無報酬で働いたので人から疑われた。彼は天幕を繕って働きながら伝道していたのであったが、そのことが理解されず、何か他意あるもののように考えられた。その他、救援事業のためにマケドニアで集めた献金のことで誤解を受けた。私腹を肥やしているという思いもかけない疑いをかけられた。その上、女性問題でも誤解を受けた(10章2-3節)。

  新約外典『パウロ行伝』と言うのがあるが、そこにはテクラという美しい女性が出ている。彼女はパウロによって導かれ信仰を持ち、猛獣の檻に投ぜられたり、火に焼き殺されそうになったが、それでも信仰を捨てなかった。この女性と親密であったことからパウロは疑いを受けたのだろう。更に、パウロはキリストの在世中の弟子ではなかったので使徒としての資格が問題となった(12章12節)。コリント後書は、こういった誤解の真っただ中で少しも敗けないで立ち上がって戦闘の書である。捨て身になって人のために働き、苦労し、倒れた人を神の力で立ち上がらせ、弱った者を引き起しつつも、誤解され、行き詰ることしばしばであった。

  その都度、祈り、打ち勝つ工夫し、嵐も洪水も、苦難も少しも障害にならず生活できた記録がコリント後書、そこには不撓不屈の精神がみなぎっている。

 

 適用 

      パウロ祈りは聴かれる、そう信じたのでパウロは行き詰まりを突破した。パウロは霊肉の全部を神に献げ、財産にしろ、命にしろ、その他あらゆるものを人にすべて投げ出した。それは、エジプトから脱出した神の民に神はマナを与えたが、どれだけ多く集めても、どれだけ少なく集めても、十分に食べたように、人に与えても与えなくても、結果は同じで、神は主権をもって富の釣り合いを保っているから多く蓄えることはないと考えた(8章13-15節)。「喜んで与える人を神は愛してくださる」(9章7節)、だからいやいやしてはならない。従って多少の誤解など気にせず、すべて神の必然と受け止め、やるべきことを貫いてやり遂げる事が大事なのだ。行き詰まりにも、突破して行かねばならないと主張している。これを示しているのは、神の愛の救いの手の動きであろう。聖霊の導きをしっかりと確認しながら勝利の人生航路を作り上げていかねばならないのである。

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