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「ルカ福音書に現われたイエス」

著者のルカは世界主義者(コスモポリタン)であって、パウロの弟子であった。パウロがユダヤ人に限定せず異邦人への伝道を展開したのだか、ルカの描いたキリストもまた世界の人々を愛するキリストであった


1 すべての民族を越えた愛

ルカ福音書はほかの福音書と違っているのは、偏見がないと言うことだ。日本人も偏見の多い民族の一つだが、そういった誤った見方をしない。ルカ福音書のイエスの系図にしても、マタイ福音書のそれと違っている。マタイではアブラハムから始まっているが、ルカではアダムから始まっており、いろんな民族が入ってきていることをわざわざ書いている。例えば第10章の「善きサマリヤ人の譬」(ルカ第10章)にしてもそうである。紀元前8世紀頃に北王朝(首都サマリヤ)が滅んだところに、アッシリア王はユーフラテス川からアラム語を話すアッシリア人(バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々)を連れて来て住まわせ、そこで生まれたユダヤ人との宗教的混淆が産み出したのが「サマリヤ人」であった。彼らを異邦人としてユダヤ人は区別したが、ユダヤ人であったイエスは彼らに尊敬を払っていたことをルカは記している。


2 博愛精神に満ちた書

更にルカ福音書は身分や地位を超越した人類愛を説いている。愛は偏り見てはいけない、とイエスの弟ヤコブは教え、彼は「人を分け隔てしてはなりません」と金持ちと貧しい人を差別するような教会であってはならないと教えた(ヤコブ第2章)がイエスも「金持ちとラザロの譬」(ルカ16章)「金持ちの議員の譬」(ルカ第18章)をもって教会のあるべき姿を教えた。

貧しい人を尊敬しないようでは教会の立場を失ってしまうと考えた。かくしてイエスは職業を超え、地位や身分を超えて人を愛せよと教えた。ルカ第1章には「マリヤの賛歌」があるが、ルカは、イエスの母マリヤをして、救い主である神を喜びたたえながら、主は「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」と言う。そればかりかルカはイエスが労働する者たちの傍らにおいて対処されているのを細かく記している。

ペトロが漁場で労働している時、網の降ろし方まで教えた。ルカの師匠であったパウロもまた労働しながら伝道した。昼働いては夜伝道し、一日働いては、翌日伝道するといった具合にいつも労働することを忘れなかった。ルカ第7章で、イエスはシモンの家を訪ね「お前は足を洗う水もくれなかったが、この罪深い女は頭髪で足を拭ってくれ香油を塗ってくれた」とほめ、シモンに小言を言っている。イエスの一番偉い人は下座奉仕する人であって、上席に着く人、床の間の前に座る人ではなくと言っている(ルカ第14章)。「お前が御馳走をするなら、貧しい人や体の不自由な人にしなさい」(ルカ14章13節参考)と言われるのだからこれを聞いた招待者たちは閉口した。

3 女性、子ども、老人への尊敬

ルカ福音書は性別を超越している。当時は男は偉く、女はだめだと言う風潮があった。ところがイエスは女を尊敬された。第7章の罪赦された女の話にしても、第10章のマルタ、マリヤの話にしても、第23章の十字架の下に最後まで立ち尽くした女の記事にしても他の福音書より女に対する記事が多く、かつ詳しく記している。またルカ福音書は、年齢を超越している。イエスは子どもを愛されたことはマタイ、マルコも記しているが、

本書は子どもに対して親切、かつ丁寧に取り扱っている(ルカ第18章)。他の福音書にはなくてルカ福音書だけにあるのは、老人で、キリスト降誕を喜んだシメオンとアンナのことが書いてあるのはルカだけである(ルカ第2章)。シメオンは年老いた身で長い間、神殿でキリストの誕生を待ち、アンナも84歳になってキリストの誕生を待ち望んでいた。

パウロも「年老いて」という文字を使っている、「年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが」と書いている。Ⅱテモテ4章6節では「世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました」と言う。パウロは「年老いた」ことを頭に置いており、ルカ福音書はそう言ったパウロの心情を受け継いでいた。

4 貧しき者への同情

ルカ貧者への同情が溢れて入るのがルカ福音書の特徴。3章で洗礼者ヨハネは「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物も持っている者も同じようにせよ」「だまし取ったりせず、自分の給料で満足せよ」と教える。6章でイエスは「貧しい人は幸いである、神の国はあなたがたのものである」と言う。10章の善きサマリヤ人の親切。11章のパンを借りに行く話、15章のどん底に落ちた息子を赦す親の話、

19章の金持ちザアカイが改心して貧乏人に金をやる話、21章の二枚のレプトン銅貨を賽銭箱に投げ入れる貧しいやもめの賞賛。こういった風に珍しい位、貧しい人について記している。24章中、15、16章は貧しい人への言及だ。

困っている人を救うことに真実の福音があることをルカは知っていたので物質的なものの中に生命があることを知らせたかったのであろう。マタイ福音書にはないがルカ福音書には「富んでいるあなたがたは、不幸である」という文言が入っている(ルカ6書24節)。そしてパウロはイエスの教えを忠実に受けて、「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのでなく、・・・神に望みを置くように。・・物惜しみをすることなく、喜んで分け当てるように」(Ⅰテモテ6章17節)と言った。

 適用 

イエスの一生を支配した言葉は「敵をも愛する」。主は十字架上で「父よ、彼らを赦してください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と祈った。強盗をも愛したことは他の福音書には出てこない。そして犯罪人をも「今日わたしと一緒にパラダイス(天国)に行く」と告げた。これはルカ福音書の特有記事。死ぬ瞬間でも悔い改めれば天国に行ける!こう語る温かいイエスの御姿が現れるのがルカ福音書。それはいつも祈っておられる御姿を見るからである。祈りの教訓もこの書が一番多い福音書なのである。


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