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「愛は偏らず、罪を赦す」

ルカ福音書に書かれたキリストの姿は、民族、地位、性、年齢、貧富、罪悪を超越しており、他の福音書よりも一層意義深く、彩り豊かな景色が描かれている。著者のルカは世界主義者であった。それは、異邦人伝道を推進し、世界伝道に突進したパウロの弟子であったゆえにその感化をうけたことによる。ではルカ福音書はどのようなものか。

1 民族を超越している

イエスは、預言者エリヤが異邦の地シドンのサレプタのやもめのもとに遣わされ養った話(ルカ4:25-26、Ⅰ列王記17章1~16節)やエリシャが異邦アラムの軍司令官ナアマンを清める話(ルカ4章27節、Ⅱ列王記5章14節)をして、救いが一民族だけでなく、それを超えて経験せられるもの出ることを、著者ルカは明らかにしている。マタイ福音書ではイエスの系図が見られるが、それはアブラハムから始まっている。この点、ルカ福音書がアダムから始まり人類の始祖に起源を見ているのとは大違い。ルカ10章にある「善きサマリヤ人の譬話」にしてもそうであるが、アッシリア人とユダヤ人の混血のサマリヤ人を尊んでいる。よってルカ福音書にはあらゆる民族を興すだけの愛がみなぎっている。 の内側に人格の閃きが侵入しているのを発見する。

2 人を大切にしている

ルカ福音書は人の社会的地位や家柄、学歴などを超越した人類愛を説いている。ルカ福音書で特筆する点は、愛を偏って考えていないことである。それが危険思想と見なされたのである。ルカ福音書の冒頭に書かれた「マリヤの賛歌」(1章46~55節)は「やさしいマリヤが権力ある者を位より降ろさしめることを歌っているところにルカ福音書の面白みがあると共に危険思想とみなされる要素が見られる。つまりルカの見たマリヤ像は、激烈なジャンヌ・ダルクのような革命家の姿である。

またルカによれば第一にイエスを見た人は、労働をしていた人たちであった。ペトロは、漁場である「沖」でイエスを「主」と告白した。他の福音書では「湖のほとり」とあり異なる。イエスはいつも労働する者の傍らに立っておられる。パウロも昼は天幕づくりの労働を夜伝道したり、一日は働き、翌日は丸一日伝道をする人であった。イエスも働くことを忘れず、勤勉に働いた。

ルカ福音書7章44節以下では、シモンの家を訪問して「おまえは私に足を洗う水もくれなかったが、この女は涙で足を濡らし髪の毛でぬぐってくれたといって「罪深い女」をほめ、自分は正しいと思っているシモンに小言を言っている。イエスが一番立派な人と言うのは、人に仕える人であって、上席につく人、床の間の前に座る人ではない。「高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14章11節)と教えている。

またイエスを招いてくれた人には、こうも言われた、「もしあなたが昼食か夕食に人を招くなら、お返しも出来ないような貧しい人とか体の不自由な障がい者の人を招いてあげなさい」と言われるのを聞いて招いた人が閉口している姿が見えるようである。

3.女性、子ども、老人を尊重している

ルカ福音書は女性を大事に描いている。7章44節以下の「罪を赦された女」の話にしても、10章38~42節にあるマルタ、マリヤの話にしても、23章27~28節にある十字架の下にさいごまで立ち尽くした女性の記事にしても、丁寧に記してあって、他の福音書よりも女性に対する記事が多く、かつ詳しいと言える。

またイエスはやもめに対しても極めて同情的であった。例えば、レプトン銅貨二枚を賽銭箱に入れた貧しいやもめの話(21章1~4節)などである。

また子どもに対しても親切であり、丁寧である(18章15~17節)。乳飲み子がイエスの下に連れて来た時、弟子たちはそれを見て叱ったが、イエスは「来させなさい」と招いている。

更に老人にも目を注ぎ、シメオン老人や老いた女預言者アンナのことが描かれている(2章25~38節)。年老いてもキリストを待ち望む姿が描かれている。

4.貧しい者を大切にしている


ルカ福音書の特色とするところは、貧しい者に対する同情深いことである。「飢えたる人を良いもので満たし」(1章53節)洗礼者ヨハネの「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやりなさい。食べ物も持っている人は持ってない人に分けてやりなさい」という言葉に注目している(3章11節)。イザヤ書を紐解いて「貧しい人に福音を告げ知らせよ」(4章18節)と言う。6章20節の『山上の垂訓』では、「貧しき人々は幸いである」と言い、11章では、空腹でパンを三つ借りに行った人の話、12章13節以下の愚かな金持ちの話、『山上の垂訓』「野原の花を見よ、働きもせず紡ぎもしない。

しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった」と言って地上の栄華の意味のない事を告げた話(12章27節)。貧しい者を会食に招く話(14章13節)、どん底に落ち無一文になった息子を赦す父親の話(15章11節以下)、貧しいラザロと金持ちの話(16章19節以下)、金持ちの議員に無産者になれという話(18章22節)、金持ちザアカイが改心して貧しい人々に金をやる話(19章8節)、二枚のレプトン銅貨を賽銭箱に投げ入れる貧しいやもめの話(21章1~4節)。

このようにルカは貧しい人々についての話を書き記し、神の救いを説くだけでなく、困っている者を救う事の中に真実の福音があることを告げた。よってマタイ福音書にはないがルカ福音書には「富んでいるあなたがたは、不幸である」という文句が挿入されている(6章24節)。同じ『山上の垂訓』でも、ルカを通して書かれたものは、マタイのものより遥かに貧しい人が挙げられ、金持ちが引き下げられている。その思想をルカは恩師パウロから受け継いだ。

4.適用

かく記したルカは、罪悪を超えて、相愛する意志を強く持つように書き表している。イエスの一生を支配した文句、それは「敵を愛する」ということであった。イエスは十字架上で、自分を十字架につける者たちを赦してくれという祈りをささげた、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(23章34節)と。犯罪人を愛したイエスについて他の福音書には現れていない。

 その犯罪人は十字架の上で「イエスよ、あなたが御国においでになる時には、わたしを思い出してください」と言うとイエスは「今日、あなたはわたしと一緒に楽園(パラダイス)に行く」と言われた(23章42~43節)。「敵を愛し」「犯罪人もわたしと一緒に天国に行く」というのがルカ福音書の特有記事である。

死ぬ瞬間でも悔い改めれば天国に行ける!これが言えるのはルカ福音書が、祈りに満ちているからである。貧しい人を愛するには、祈りによって復活の命を与える霊と一つとなるがゆえである。祈っておられるイエスと一つになる時、何もなくても喜びで溢れると確信をもってルカは伝えたかったのであろう。


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