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「ベツレヘムの祝祭」

 

ローマ帝国がユダヤを占領していた今から二千年前の暗い闇夜のベツレヘムでの祝祭が持たれたことがあった。それは救い主の誕生であった。この事が現代の私たちにどう関係するかについて語りたいと思う

 

 

1 暗黒の時代の啓示

  救い主の誕生は暗闇の射す一条の光であった。ではどのような時代だったのだろうか。その頃、皇帝アウグストゥスが占領している全領土の住民に対して住民登録を命じたのであり、その目的は税金集めで、その使途の一つは戦争ための軍資金の準備にあった。よってクリスマスとは、国家権力の危険な時代への備えの啓示であった。マイナンバー制度の導入、カジノ法案の可決など似ている時代現象である。 そんな時、ヨセフとマリヤも住民登録をする為に、ベツレヘムに向かった。身重の妻を連れてのナザレの町からベツレヘムまでの旅は困難で、望ましいものではなかった。 不運は重なると混乱し、困窮する。ベツレヘムに到着するが泊まれる宿屋一つなく、温かく迎えてくれる人もいなかった。やむなく家畜小屋に身を寄せたのであったがが、その晩、月が満ちてマリヤは初めての子を産み、布にくるんで、飼い葉桶に寝かせたのであった。

 

2 御子キリストを待望する者たち

 

その地方で羊の番をしていた羊飼いたちに天使が現れ、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2章11節)と告げた。そのメシア、つまりキリストのしるしは、「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」だと言う。彼らは出かけて行ってこの乳飲み子に出会った。 同じ頃、エルサレムにシメオンと言う信仰のあつい老人が救い主を待ち望んでいた。メシアに遭うまで決して死なない、との啓示を受けていた。そして聖霊に導かれて神殿の境内でこの幼子と出会い、腕に抱き神をほめたたえ「救い」を見たと語った。シメオンは、母親のマリアに「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」(ルカ2章34-35節)と告げたのであった。 救い主は、彼の敵の側につく者によって反対され、逆らわれ、抵抗されるしるし、証拠であった。それは多くの人の心にある思いが現れ出るためであった。かくしてシメオンの言葉の中で、救い主は慰めであり栄光であると同時に、暗黒な時代に対する反対、抵抗のしるしなのだが、彼を生む者の内側は苦難により刺し通される。これは私たちもまた救い主を信じ、内在させる時、苦難を経験すると言うのである。

2 御子がおられる場所 

 創世記第1章に、神の霊はあったとあるが、それは出て来て被造物全体に届く神御自身である。それがクリスマスの夜、 神の霊は、受肉し、イエスという人になられた。33年半の後、彼は十字架につけられ、復活し、昇天を経過して、復活の命を与えるイエス・キリストの霊となった。かくして今やイエス・キリストの霊は、到達して人類に触れている。今やその霊は、神性、人性を伴いすべての成分を含んで私たちに及んでいる。今、御子は復活の主の霊、聖霊として私たちの内側に宿り、溶け込み、触れることができるようになった。 この聖霊のキリストのおられる所はどこか。それは「人の霊」の中におられる。主イエスを求め、その霊を心に迎えることであるが、イエスの体なる教会という団体的な「新しい人」におられる。そこでこの「新しき人」を生きることが現代における救いでもあり、暗黒の時代に対抗する光でもある。 世の中には人がいかにドタバタしても解決しないことが多い。「思うがままにならない」のが人生でもある。それを「おもうがままにしよう」とすればするほど苦しみが増す。老いることだって、思うがままにならない、病気だっておもうがままにならない。生きることは、いろんな問題を抱えるもので、これさえなくなれば仕合せになると思えどそう簡単にはいかない。1つ解決しても、また次の問題が襲ってくる。一難去ってまた一難。そこで多くの人は、ご都合主義になる。現代の言葉で言えば、ポピュリズム、大衆迎合主義である。 「善か悪か」と言うのではなく「必要か不必要か」という論理が起って来る。核兵器は必要か、不必要か、原発は善か悪か、ではなく、必要か、不必要か、の論理の展開だ。ご都合主義では、仕方ないと判断する場合もあるが、原理主義者はそれを認めないことになる。

 

3.適用

 

 い現代のクリスマスの意義の一つは、イエスの語られた言葉とその展開としての使徒たちの言葉をそのまま受け止め実践する原理主義に立つ事と考える。その言葉には実行が不可能な事が溢れているが、祈りをもって、従うのである。その実現のために、イエスは救世主として来られ、聖霊と成って私たちを導き、「思うがままにならない」状況を造り変えてくれるからである。くら考えても分かることのない事柄を妄想し、失望することはない。健康が良い事で、病気が良くない事と決めけることもない。病気になったのは、神の必然によるのであって、「神様からの贈り物」と考えればよい。それには神の御計画があるのであり、おはからいと感謝することが肝心である。ありがたいと思えばよい。このように受け取り、一生懸命に病気になる、リストラに遭ったことも、貧乏であることも感謝し、それを一生懸命楽しむなら、クリスマスは聖霊の充満の時となり天国の喜びを味わい、「いと高き所には栄光、神あれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美する

 

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