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「憐れみは裁きに打ち勝つ」

神は将来、信徒に対しても裁きの座において義にしたがって裁かれ、懲らしめるが、同じように憐れみを注がれる場合もある。もし他の人たちを赦そうとしないなら、また自分の正しさを主張するあまり、他の人の欠点や弱さに寛大な心を持たないなら、主はかの日に義によって対処するが、もし他の人を憐れむなら、主も憐れんで下さると言うのである。主は「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(ルカ6章37節)と言う。人は他の人を量る量りで自分も量られ、赦す人は赦され、憐れむ人は憐れみを受ける。「憐れみは裁きに打ち勝つ」(ヤコ2章13節)。よって絶えず憐れみを受けるべき備えをすべきである。

 

 

1 憐れみと赦し

  憐れみの心をもって、どこまで兄弟を赦せるか、ということが次の課題である。ペトロは「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」(マタイ18章21節)と主に尋ねたところ、主は「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言い、ペトロに兄弟を赦さないなら懲らしめを受け、獄に繋がれる可能性があると告げた(マタイ5章25節、18章34節)。もちろんキリストを信じた者は永遠に滅びることはないが、悔い改めることもせず、罪も告白せずにいるなら、主はそれを赦さず、「火の地獄(ゲヘナ)」に投げ込まれる(マタイ5章22節、18章8節)。憐れみを示さないなら、その人は裁かれ、懲らしめを受ける。クリスチャンであっても「地獄(ゲヘナ)」に投げ込まれることもあり得ることを、聖書は一度ならず何度も告げている。ルカ12章8~9節で、クリスチャンにも二種類あり主の名を言い表す人と、そうでない人とがあると言う。もちろん永遠の救いはぐらつくものではないが、一方で危険も存在している。私たちが罪を黙認したり、他の人を赦さなかったり、姦淫を犯したり、兄弟をののしったり、主の故の迫害を恐れて、主の御名を告白しなかったりするなら地獄(ゲヘナ)に投げ込まれ、懲らしめを受けることになるからである。このようにクリスチャンと言えども、自分の罪に対して正しく注意を払っていないなら、刑罰を受けると結論づけることができ、訓練と懲らしめは、聖めのための必要なのである。

 

2 人間再生の使命

イエスの使命は人間再生にあった。ルカ福音書15章の譬にはそれが出ている。羊飼いが九十九匹の羊を野に残しておいても迷った一匹の羊を救うということ、女が十枚の銀貨の中で一枚を見い出すために努力すること、2人の息子を持つ父親が、放蕩によって身を持ち崩したあわれな息子を家に迎えて喜ぶと言う三つの話の中に、困難な救いの道が説かれていて、どんなにそれが至難の業であっても、あくまでも遂行するという堅い決意が示されている。また徴税人のマタイと食事を共にした時、それを見つけたファリサイ人は、罪人と食事をすることをなじった。イエスはそれに応えて「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と返答されてその使命を明らかにされた(マタイ9章9~13節)。この贖罪愛の再生力には、二つの要素が必要となる。一つは、天の高い力、キリストの復活の命を与える力の霊を持たねばならないことであり、他は、 神の力が人間の姿をとった救い主として人間に作用する力にならなければならないことである。病気を治すにはまず小さな弱った細胞を治し、また血液によって傷んだ部分を清めてゆくように、低いところ、弱ったところ、悪いところにまで降ってゆかねば、健康体に引き戻すことができない。神の子は人間を救い、罪を贖うために、天より降り、人と成られた。ここに人間再生の可能性の扉が開かれた。その再生力そのものが贖罪愛そのもので、永遠の贖罪愛のために十字架を経過した復活が必要だった。それは犠牲的愛の原理である。キリストは、憐れみだけが人を救うものであると告げ、その生涯はただ十字架にのみに集中した。この点に私たちはイエスの驚くべき歴史的使命を理解する。すなわち神の愛を人間の姿において現したのである。イエスの大きなよみがえりの力が、このいと小さき身に宿る時、神の復活の命を与える力が与えられ、死の力、否定的な力を踏みにじる大きな力が与えられるのである。

トルコによるアルメニヤのクリスチャン迫害があった時、一人の少女とその兄がトルコの兵士に追跡され追い詰められた。そして兵士は少女の目の前で兄を殺した。少女は壁を乗り越え逃走した。それから数年が経ち、彼女は看護師になった。ある日、病院に担ぎ込まれた重病人が兄を殺したあの兵士であることを知った。しかし彼女の必死の看護で救われた。やがてそのトルコ兵は彼女がかつて自分が殺した男の妹であることに気づいた。「なぜあなたは兄を殺したわたしを看護してくれるのか」と尋ねると、彼女は「敵を愛しなさいということを教える宗教を持っているからです」と答 

3.適用

憐れみは裁きに打ち勝った人の姿であった。彼女の心には使徒パウロの言葉が心を絶えず支配していた。

それは『ローマの信徒への手紙』12章19~21節のみ言葉である。そこにはこう書かれてある、「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」と。

これこそイエスの精神であった。

 

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