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「ガイオの兄弟愛と一時滞在施設」

   エフェソの長老であったヨハネが、デメトリオ(12節)という人を多分コリントに住んでいたガイオに推薦する目的で書かれた手紙が『第3ヨハネの手紙』であったと思われる。パウロは「全教会の家主ガイオ」と呼んでいるように自分の家を開放して「家の教会」としていた。パウロは彼の家に滞在していた時、ローマの教会宛ての手紙を書いた。いずれにしても彼は初代教会において極めてまれな親切な人であったと想像される。その頃のキリスト教の伝道の中心地はエフェソであった。それでエフェソ宛て、あるいはそこで書かれた手紙がたくさんある。『ガラテヤの信徒への手紙』、『コリントの信徒への手紙』『フィリピの信徒への手紙』『ルカ福音書』『使徒言行録』『ヨハネの手紙』がエフェソで書かれ、エフェソに宛てたものでは『テモテへの手紙』や『エフェソの信徒への手紙』がある。使徒ヨハネもエフェソにイエスの母マリアを連れて逃げて来た。そこにマリアに墓もあると言う。この長老ヨハネは使徒ヨハネの感化かを受けた人であった。

 

 

1 ディオトレフェスの反兄弟愛

   少し前長老ヨハネはコリントまで行って伝道した事があったが、そこのある一派は彼に対してあまり親切ではなかったらしい。その中のディオトレフェスという人は、威張りたいために同じイエスの弟子に対して不親切であった。エフェソから使徒ヨハネに感化を受けた長老ヨハネが来たのを喜ばず排斥したらしい。「彼は悪意に満ちた言葉で」そしり、兄弟たちを受け入れず、邪魔をして教会から追い出したのである(9~10節)彼は偏屈な男であって、旅人に対して少しも兄弟愛を実行しなかった。 ところがガイオは親切で、自分の家を一時滞在施設として開放し、全く知らない人をも喜んで家に迎えた。彼の家は一つのロッジで、滞在施設であった。それにして酔っぱらいを泊めたりすると面倒な事もある。寒い冬の日など電気ストーブで暖まりながれ寝るのはいいのだが、それを倒して床を焦がしてしまった人もいた。また時には偽信徒に騙されることもある。パウロが「偽兄弟たちからの難」(Ⅱコリ11章26節)といっているのはその事であろう。キリスト信徒は親切に旅人をあつかったものだから、騙す人もいたようだ。ガイオはいつでも人を受け入れた。おそらくディオトレフェスもまたガイオのように旅人をもてなすような親切心をもっていたであろうが、たびたび騙されるものだから心が頑なになっていったのであろう。それで長老ヨハネが行っても歓待しなかった。今日でも「偽兄弟の難」がない訳ではないが、信徒が誰でも困らないで泊まれるようなロッジがあればと思う。それは、イエスの教えを忠実に守ることから実行できるのではないか。マタイ福音書25章35節では、「旅をしていた時に宿を貸し」たかどうかで審判の日に裁きを受ける基準となっていることを知っていたガイオは実践したに過ぎなかった。

 

 

2 ガイオのキリスト教的兄弟愛

   『第3のヨハネの手紙』を読んでいて、そこにはキリス・イエスという言葉がない事である。教会と言う言葉は3回記されている。しかしガイオが「真理に歩んでいる」ということが繰り返し出てくる(3、4節)。また御名のために旅に出た人を助けるべきであって、そうすれば「真理のために共に働く者となる」と言う(8節)。これは、ガイオが、キリストの復活の命を与える霊を宿した生活を指し、聖霊にあって主と一心同体となっていることを証ししていることを長老ヨハネは他の兄弟たちから聞き及んだ。彼は真理、即ち愛において歩んでいた。またガイオは長老ヨハネにとって霊の子どもであったので、「自分の子供たちが真理に歩んでいると聞くほど、嬉しいことはありません」と言って喜んだ(4節)。 ガイオの家はコリントにあった。そこにはパウロが1年半かけて創設した教会があったが、彼の不在中、教会は分裂し、異なった教えが侵入してきた。にもかかわらず、その教会の信徒の一人ガイオが、イエスの教えを忠実に実践し、兄弟愛をもってこまった兄弟姉妹たちに家を一時滞在施設として開放していた。その評判は初代教会では知れ渡っていた。どんなひとにでも親切にし、お互いに助け合いをしていれば、神がわかって来るのではないか。

 

 

適用

kiリスト教の本質は、贖罪愛、十字架愛にある。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13章34~35節)。ガイオはすべてを超えて人を愛し、旅人の兄弟たちを親切に助けた。この手紙はそういったキリスト教兄弟愛運動の推進のために書かれたものである。この兄弟愛の実行こそ福音なのである。人は霊・魂・体から成っているが、魂は礼と体を連結する器官であり、霊を受け入れる器でもある(2節)。この魂に真理である復活の主の命が宿るならば恵まれるばかりか、すべての面で恵まれ、健康となって来るのである。これが魂の繁栄、恵まれた結果を生む。主の兄弟姉妹を受け入れるとは、主イエスを受け入れる事、聖霊の充満なのである。

 

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