「十字架に生きる」
「10さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス·キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。2章1~2節「1兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。2なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス·キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」
パウロのコリント伝道は、思ったほど良い結果は得られなかった。教会を立ち上げたものの間もなくして教会は分裂していった。これをくいとめるために御パウロが提示したものは何であったか。言うまでもなくそれは十字架であった。
1 十字架の提示
当時のコリントの教会は、パウロ派、アポロ派、ケファ派、キリスト派の4つのグループに分裂して争っていた。ちょっとしたことで分裂するのはやむを得ない事であるが、できれば一緒に行動できるようにしたいものである。パウロは、パウロが十字架刑につけられたか、
パウロの名によって洗礼を受けたのですか、と言って十字架にかかったイエスを忘れて自分を現そうとすることをしないように注意した。そこでコリントの伝道でも福音を告げ知らせることに集中して洗礼を授けるのは他の人に任せたようである。それはパウロの名でキリストを宣伝したという誤解を招かないためであった。
Ⅰコリントの信徒の手紙に、この十字架が実に徹底して書かれている。パウロは教会の混乱を訓戒するのに十字架を持ってした。混乱が広がったのは私たちに欠点があるからで、これも神の恵みで赦されるのであるから十字架を信ぜよと言った。 実際、アポロやケファは、安息日をどう守る、食物はどうする、洗礼はどうと言った風にキリスト教会の中にユダヤ主義を混同させた。パウロはそれを十字架につけよ、キリストにつくとは自由になることだ、と神と一つとなることだと説いた。
こうして第1章、第2章に内に6回繰り返して十字架を書いている。十字架をむなしくしてはならないということが明らかになっている。(1章13節、1章17節、1章18節、1章22~23節、2章2節、2章8節)。十字架を告げるために一生を費やしても惜しくないと言うのである。 罪なき者が十字架の血を流したという信仰によって人は生き得る。パウロはあくまでこの血に頼ろうとした。十字架のイエスを通して、今までの世界を滅ぼし、新しく生きていかねばならないとパウロは考えた。それだけでなくそれは神の思し召しにかなった。彼は「神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」(2章1b~2節)と言ったのは、その事を指していた。
2 愛の倫理
コリントには、ガイオという親切な人がいてこそでパウロは滞在中世話になっていた(1章14節、ロマ16章23節)、このガイオと言う人が第3ヨハネの手紙の宛名の人であった。このガイオの家がコリントではクリスチャンの本部であった。パウロが去り、アキラとプリスカに様な有力な会員もエフェソに転居して、教会の中心人物が無くなったために、分裂が始まったらしい。そこへまたユダヤから数名の形式的な信仰を主張する人々が入り込んできたから教会は益々混乱が起った。ゴタゴタが起って、多くの人が信仰を失った。そして教会が4つに分裂したのであった。原因には思想(教理)、言語、修養法の相違、組織論の相違などがあり、どうして合わない場合、教会が揉めることがあるがやむを得ない場合もある。しかしパウロはこれらを超越して、クリスチャンは一致すべきことを説いた。 またパウロは初めてキリスト教を受け入れたギリシャ人の道徳状態にも失望したようだった。
そこでイエスの十字架を中心とした新道徳を教え出した。それは全体意識を中心とした愛の道徳である。パウロは個人道徳を新しい愛の道徳の中に収斂させたのが第13章である。それはイエスの教えの中にギリシャ道徳のすべてを包含させて体系的に組織立てたのである。 第12章で肉体の有機的な組織を譬にとって、愛がその有機的意識から発達することを書いた後、第13章でギリシャ人の好んだ美辞麗句も愛がなければ何の益もなく、またオリンピアの預言も、小アジア地方に流布した神秘主義的各種の秘法も、愛がなければ何の意味もないし、アルキメデスの科学、またユークリッドの幾何学を世界に送り出したギリシャのあの優れた科学的知識も、愛と社会組織のために貢献しなければ、何の役にも立たないとパウロは考えた。またオルフィアスの徹夜の舞踏と完全な信仰も愛によらなければ何の益もなく、アウグストゥスの爵位が欲しいために多くの寄付金をしても、それが愛を基礎にしない救済金であるなら、何の役にも立たないとパウロは叫んだ。奇跡的な宗教も愛に向かっての貢献がなければ、人類社会にとって遊戯にすぎないと痛切に教えた。 こうしてパウロは、更に愛の本質に切り込み、愛を立体的に観察して、愛は寛容、慈悲をもって、妬まず、誇らず、高ぶらぬことを本質とした。そして愛が外に向かって芸術的行為となり、人に向かって尊敬を失せず、自己中心でなく、軽々しく感情を興奮させず、人の悪い所を見ず、真理を中心として、人を愛し、乱れざる愛を持続していくべきと高調した。ギリシャ人は愛と言えば、すぐに恋愛を想像したが、パウロはそれ以上の高い愛を考えた。それは贖罪愛、十字架愛であった。かくしてパウロは愛が信仰よりも、希望よりも大きなものであると考えざるを得なかった。神の贖罪愛を信じることが「信仰」であり、愛によって働く「希望」の湧くことを洞察したに違いない。こうして愛の倫理を完成させたが、それはイエスの「山上の垂訓」の延長にあった。それは、イエスの十字架に向かう精神であった。
適用
パウロは十字架を拝んだのではなかった。彼は十字架を生きたのである。そして彼の中に主の十字架が生きたのであった。十字架に生きる者は、イエスの「山上の垂訓」を生きる。Ⅰコリントは、徹頭徹尾十字架に生きた者の福音書であった。それは贖罪愛の