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「天の幻に生きたヨセフ」

  ヨセフはヤコブの聖霊で満たされた生涯を表現し、キリストを予表しています。彼は牧者でした。羊の群れを養い、兄弟たちを牧しました。しかし彼はその兄弟たちに憎まれ、悩まされ、殺されそうになりました。また彼は父に愛されました。彼はいつも父と一緒である深い感覚を持っていました。彼はエジプト(この世)に売られました。キリストもローマの権威ピラトに引き渡されました。さてこのヨセフはどのような生き方をしたのでしょうか。


1 命の麦の束

創世記37章の2節で、ヨセフは、二つの夢を見、彼は父に兄らの過ちを告げた事に関しての神の見方を持ちました。それは神が彼にこう言われたかのようです。「ヨセフよ、私の目にはあなたも同じです。あなたも麦の束であり、彼らと同じように良い。ただ違いは私があなたを選んで、支配するように召したことであるが、それが彼らより良い事を意味するのではない」。これを理解するのは、民数記23章の異教徒の預言者バラムの預言が助けになります。民数記によれば、イスラエルの子たちは多くの邪悪な事を行ないました。バラムはイスラエルを呪い、彼らの邪悪さを暴露するために異教の王に雇われました。しかし神はバラムを通して語られ、バラムは「だれもヤコブのうちにとがを見い出さず、イスラエルのうちに災いを見られなかった」と言いました(民数記23章21節)。そればかりか続いて、「彼らの神、主が彼らと共におり、彼らのうちに王をたたえる声が響く」と言っています。このように人を訴えるために、主の御前に行ってはならないのです。しかし、これは簡単な事ではありません。なぜならあなたは、「だれそれは良い束であるとは思いません」と言うかもしれません。おそらくみなさんの多くは、人をみれば良い束には見えず、その人の欠点ばかり目につき批判的になるでしょう。教会でも、「私はあの人の近くには座りたくありません」という人は結構多くいます。そのような時、天の幻を見る必要があります。しかし誰が正しいのでしょうか。神でしょうか、あなたでしょうか。ヨセフが見た夢では、神の目には兄たちの束は、すべて命に満ちた束であったのです。


2 太陽と月と星

   ヨセフは見た第二の夢によって神の意志が確証されます。聖書では二人の証人による確証の原則があります。ヨセフは第二の夢を見て、神の意志を確証しました。ヨセフによって訴えられた兄たちも、星のように光で満ちているのです。天の発光体です。ですから教会でも兄弟姉妹たちを訴えないように注意してください。人を罪定めしないことです。これは家族にあっても同様です。 このように当たることは偽りであると言うなら、それはあなたが天のビジョンに欠けているのです。もちろん、あなたの判断が正しいかもしれません。しかし、人を罪定めするなら、命の損失を被るでしょう。どんな兄弟姉妹も命の光で輝いています。良くないと罪定めしてはならないのです。むしろ、「主よ賛美します!彼らは何と良いでしょう!」と言います。こうすると私たちは命を享受するのです。しかし非難する時、直ちに死を被るのです。教会や聖徒たちについて消極的に語る者は誰も、命を獲得せず、死を被ります。

  ヨセフは二つの夢を見ましたが兄たちに憎まれ、陰謀に遭いました。彼らは天の見方では輝いていましたが、実は暗く、陰湿で、罪深くありました。38章では、ユダが犯した罪から双子の息子が生まれますが、その兄ペレツがキリストの父祖でした。このようにユダのような罪深い者たちで満ちている教会から、キリストが出て来られるのです。私たちに必要なのは天のビジョンです。また39章では、エジプトに売られたヨセフが、ファラオの宮殿の侍従長のポティファルの家で働きますが、彼の妻から誘惑と不正な取り扱いを受けているのを見ます。これらを乗り越えて彼はやがてエジプトの宰相となります。ヨセフが不撓不屈の精神でこれらの試練に耐えられたのは最初の夢による天の幻を見たからでした。自分がひれ伏す束でなく、起き上がる束であったことを見たことによりました。その夢からヨセフは、神が自分をどこに置かれたのか、神が自分を何にならせたいのかを認識したのだと思えます。彼は疑いもなく、神が自分をそのような束にならせたいことを理解したのです。この幻が、ヨセフの生涯を導きました。 これは第二の夢も同じでした。彼は自分が太陽や月や星によってひれ伏されている夢を見ました。そのため、彼は、今後、私は輝く星のように行動し、暗くあってはならない、明るく輝かねばならない、と考えたと思います。ヨセフが卓越した人生を持ったのは天の幻を見たからでした。私たちは何を見ているでしょうか。何を見るかによってその人の人生は変わります。ヨセフも自分が、命に満ちて起き上がる束であり、他のすべての星にひれ伏される星であるというビジョンに影響されたのです。あなたもこの幻をもって卓越した神の子として歩んでみませんか。ヨセフの振る舞いは、彼が受けた幻によります。


 適用 

  創世記37章には兄たちの怒りの罪があります。38章にはユダの情欲にふけるひどい罪があります。彼らの目は暗くされ、盲目的に振る舞いました。それは暗闇を表徴します。この暗闇の中で天に輝く明るい星としてのヨセフを見ます。それは彼のみた幻が、彼を制御し、導いたからです。天の星として、自分の立場を忘れなかったからです。彼は夢見る人であっただけでなく、夢で見たものを実行したのでした。幻なき民は滅びるのです。彼の生活は天の王国の生活となったのです。主の臨在する所はどこでも、権威と統治する力で満ちるのです。


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