「霊の渇きを癒す水」
17 僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。「水がめの水を少し飲ませてください。」18 すると彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。19 彼が飲み終わると、彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、20 すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。・・・・53 そして、金銀の装身具や衣装を取り出してリベカに贈り、その兄と母にも高価な品物を贈った。
序
創世記24章のイサクの結婚の記録は、花婿であるキリストが花嫁としての教会をめとる結婚と似ているので、その予表と言えます。そして新約聖書の主題は、三一の神、父と子と聖霊が共に働いて、御子のために花嫁を得ようとしておられることなのです。救い主が来られたのは、罪人を救うためだけでなく、花嫁を持つためで、ただ私たちの救い主や贖い主となるためでなく、花婿となるためだからです。
1 聖霊の選び
父なる神は、人類の中から御子のために花嫁を得ることを計画されました。御父の予表であるアブラハムは聖霊の予表である彼のしもべに、彼の息子のために、妻を捜すように命じました。しもべは委託、使命を受けましたが、これは父なる神が聖霊なる神に委託されたことを表徴します。さて、リベカは、選ばれてイサクの妻になるとは夢にも思いませんでした。ただ彼女は午後遅く水を汲みに井戸に出かけました。ところがその日、既にそこにはアブラハムのしもベがいました。これは聖霊が先回りして待っておられたことを暗示します。しもべは、そこにやって来た女に水を飲ませてほしいと頼みました。ヨハネ福音書4章で、主イエスは、ヤコブの井戸に来てやはり一人の女に水を求められました。創世記24章で、渇いていたのはリベカではなく、しもべでした。同じくヨハネ福音書4章で、渇いていたのは、サマリアの女ではなく、主イエスでした。リベカは渇いておらず、夫の必要を感じていたわけではありません。渇いていたのはしもべ(聖霊)の方でした。主イエスも、渇いておられました。伝道者が熱心に福音を納得させるのは、伝道者の熱心ではなく、その内なる霊の渇きです。そしてリベカは神の霊に捕えられました。神に選ばれた者は、聖霊にとって満足させる水なのです。今も聖霊はヤコブの井戸でキリストがなされたように、神の選ばれた者を捜しておられます。
2 聖霊の証し
聖霊はキリストの豊かさを花嫁にもたらします。らくだが水を飲み終えた後、しももべは金の輪をリベカの鼻に、2つの腕輪を腕につけました。これは彼女が捕えられたことを意味します。その後、しもべはリベカの家に入ると、イサクの豊かさについて証ししました。リベカの兄ラバンと父ベトエルがしもべの申し出を受け入れた後、しもべは更に多くの豊かさ、金銀の装身具や衣装を与え、その兄と母にも高価な品物を贈りました。もししもべが「アブラハムは貧しく、生計を立てるのも困難であり、彼の息子イサクは病気がちで、仕事もろくにしていません。彼の助け手となってあげてください」と言ったとします。それを聞いたリベカが「行きます」とは言ったと思いますか。おそらく彼女は「ご遠慮いたします」と言うでしょう。しかし、しもべの証しは貧しいものではなくとても豊かでした。主人のアブラハムが祝福されていること、息子のイサクにすべてを与えたことを語りました。リベカはこの証しを聞くや、イサクに引き寄せられ、喜んで彼の所に行こうとしました。今日、キリストは御父のすべての豊かさを受け継ぐように定められたお方です。これは聖霊を通して告げられています。その聖霊の証しゆえに私たちはみなキリストに引き寄せられました。主の豊かさは私たちを引き寄せる吸引力です。それはこの世の吸引力よりはるかにまさるものなのです。よって主を愛し、追い求め、賛美するのです。リベカはしもべが持ってきた贈り物によってイサクの豊かさを認識しました。私たちもまたキリストの豊かさを、聖霊が私たちに分与された聖霊の賜物を通して認識します。そして聖霊がリベカを納得させたように、私たちもまた聖霊によって納得させられます。彼女はまだイサクを見たことがありませんが、引き寄せられ、愛したのです。私たちもキリストの下に行きたいと願いを持っている限り、それは私たちが選ばれたリベカであることのしるしです。リベカはラクダに乗ってイサクの下に行く途中も、「私はあなたを愛してます。早く会って一緒に過ごしたいのです」と考えたでしょう。イサク同様、主イエスもまた愛すべき方なのです。
適用
イリベカはしもべ(聖霊)の期待通りの事を行ない、しもべの渇きは満たされました。彼女は鼻に金の輪を付けることで、神聖な性質によって捕えられ神聖な香りをかぎ分ける機能をもちました。同じように救われた私たちの霊的鼻は、キリストの香りをかぎ分けます。ですからそのような鼻を持てば何をすべきか、何をすべきでないかを告げる必要もなくなります。また彼女は2つの腕輪をつけました。ある意味で、霊の手錠をかけられ、神聖な機能を受けました。そして金銀の装身具や衣装などの多くの豊かさに満たされたのです。私たちも教会生活の中でキリストの豊富をすべて受け取ることができるのです。リベカがイサクと出会った時、イサクは母の死後の慰めを得ました。私たちも主の満足を満たす時、主が慰められるのです。今、救い主は慰められるのを待っています。それはいつでしょうか。それは花嫁として主のからだなる教会に私たちが正しく位置する主の結婚の日です。