「イサクの結婚」
15 僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、16 際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、17 僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。「水がめの水を少し飲ませてください。」18 すると彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。19 彼が飲み終わると、彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、20 すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。21 その間、僕は主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた。
序
創世記24章を読むと多くの人はこの章が結婚の記録と考えます。しかしながらこの章で重要なのは結婚ではなく、結婚が示し、暗示し、予表していることです。主要な第一の点は、主と一つとなる実際的な生活を見ることにあります。イサクの結婚は、独身のイサクが快適な生活を持つためであったのでなく、神の永遠の目的を成就するためであったのです。これを知る為には先立つ3章を読まなければなりません。神は、永遠の目的を成就するために、アブラハムに良き地とその地を受け継ぐ子孫を与えると約束されました。しかも神は人と神の姿に似せて造られましたが、それは「我々に似せて造ろう」とされたように団体として御自身を表現しようとされたのです。この団体を表現するために、神は神の民を持たねばなりませんでした。この民がアブラハムの子孫でした。かくしてイサクは結婚を通して神の目的を成就するのです。子孫を得て神の永遠の目的を成就させるのです。
1 嫁捜し
アブラハムは神と一体の信仰生活をしていました。ですから神が何を願っているかも知っておりました。よって神が禁じた訳ではなかったのですが、カナン人の中から嫁を選ぶことはしませんでした。かくして最年長のしもべを故郷に遣わして嫁捜しを始めました。神のみこころと思いを知っていたからです。私たちがこのような生き方をすることを私は望みます。アブラハムは神の行政にしたがって行動しました。私たちの結婚すべてが、神の目的を成就するためでありたいものです。このような結婚は、日ごとに神との一体の生活を必要とします。これが創世記24章の主要な啓示です。私たちもアブラハムのような人でありたいものです。これは祈り求めてわかる事柄ではなく、どう生活するかによってわかる事柄です。断食や祈りが必要なのでなく神の行政にしたがっているかどうかです。こうしてアブラハムはしもべを遣わすにあたって、神が仕えるように命じ、御使いをあなたの前に遣わし、その嫁捜しをして下さると語り、だから心配せずただ仕事をしなさい、と告げたのでした。こうしてしもべは主人から預かった高価な贈り物を携え、出発しました。
2 しもべの祈り
アブラハムの故郷アラム・ナホライム(「二つの川のアラム」の意で、メソポタミヤのこと)のナホルの町の近くの井戸に来た時、単純な方法で祈りました。「神よ、どうか嫁選びを成功させ、主人アブラハムに慈しみを与えて下さい。いま井戸のそばにいます。ここに水を汲みにくる娘たちの中で親切を示した娘をイサクさまの嫁にお定めください」と祈りました。すると祈りは直ちに答えられました。リベカが水がめを肩に載せてやって来て、しもべに親切を示したことから、神の定めた人であると判断しました。神は主権を持ってしもべをアブラハムの兄弟のナホルの町に導き、ナホルとその妻ミルカの孫娘リベカに会わせたのです。これは何も偶然ではなく、世の基が置かれる前から定められたことでしたがそれがアブラハムのしもべによって遂行された必然であったのです。彼女は「際立って美しく、男を知らない処女であった」と告げられています。彼女は貞潔で純粋で、かつまた親切で勤勉な娘でした。彼女はしもべに水を与えただけでなく、彼の十頭のラクダのためにも水を汲んであげたのでした。それは重労働でしたが、彼女はそれを行いました。神の主権の下で結婚したければ、親切で勤勉である必要があります。不親切でだらしない人は独身でいた方が幸いです。また人が一つの事をするように求めるなら、その人のために二つの事をする思いやりが必要です。そして第二の事は第一の事よりはるかに上回るべきです。しもべに飲ませるだけでなく、十頭のらくだのためにも水を汲むべきなのです。このような人がイサクの嫁として資格あるものなのです。
3 リベカの従順
しもべがリベカの家に行くと手厚くもてなされました。その家は大いなる祝福に包まれ、しもべは旅の目的を伝え、イサクの嫁にリベカを候補に挙げたことを告げました。兄ラバンと父ベトエルは、「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪し申すことはできません」と言います。彼らも神と一心同体の生活をしていました。リベカもまた嫁ぐことを決断し、しもべに付き添われてイサクの下に向かい、彼を遠くから見るや、彼女はベールを取り出してかぶり服従のしるしとしました。
適用
イサクは何をしていたのでしょうか。ただベエル・ラハイ・ロイ(私を見る生ける方の井戸)にて結婚の事を黙想していたのでしょう。彼は野に出て主を求め、神の御前で黙想を終え戻る時、リベカが現れました。彼は妻を娶るために黙想し、ただ父が自分のためにしてくれたものを受け継いだだけです。このようにイサクも行動して、主と一心同体でした。彼には、結婚式はなく、ただ真の堅固な結婚があるだけでした。彼の結婚は自分のためだけでなく、神の永遠の目的を成就する結婚、神の王国を生み出す結婚だったのです。