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「創造者の証しからの孤立」

19:16 ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。17 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」19:24 主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、25 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。

 

 

創世記第19章は、近親相姦という醜悪なものに関する記録ですが、私たちを目覚めさせる警告を与える積極的な目的に役立ちます。

 

 

1 命の機能の喪失

ロトには妻と言う命における助け手がおりました。アブラハムにもサラと言う命の助け手がおりました。サラがいなければアブラハムは神の目的を成就するためにイサクを生み出すことはできませんでした。今日、教会も神の目的を成就する「イサク」を生み出すために、命における正当な機能が必要です。ロトの家族は、妻は塩の柱になったので、命の機能を失いました。そのため不正常な娘たちを持ちました。教会もまた命の機能を失うと不正常な娘をもって「魂を得る」手段を求めるようになります。

 

 

2 創造者の証し人と証しからの分離

本来、神の民は一つでしたが、ある時、分裂が入って来て、アブラハムの家とロトの家に分かれました。ロトの家族は、アブラハムが証ししていたものを離れました。第18章で神と2人の御使いがアブラハムの所に滞在し、彼と共に食事と親密な交わりをしたことを見ますが、第19章で御使いたちがソドムに町へ行った時、神はかれらと同行されませんでした。神の証しはアブラハムと共にありましたが、ロトの所にはありませんでした。ロトは神の民でありましたが、神は彼には現れませんでした。義の人であり、敬虔であり、信仰者であったのですが、神の臨在はロトと共にはありませんでした。あなたはいまどこにいるでしょうか。ヘブロンでアブラハムの家族と共にいるでしょうか。それともソドムでロトの家族と共にいるのでしょうか。モアブ人ルツに、亡くなった夫の母ナオミが自分の里に帰りなさいと告げると、ルツは「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。私はあなたの行かれる所に行き、あなたの亡くなる所で私も死に、そこに葬られたいのです」(ルツ1章)と告げました。ロトもこうあって欲しかったのです。私たちの多くはロトのように神の召した教会を放棄し、離れます。その時、喜びは消え去り、神の証しの下に戻ってくるまで、喜びは戻らないでしょう。いったん教会を離れると、戻って来ることは非常に困難です。ロトもそうでした。結局、創造者の証し人と証しを離れた後、ソドムの町へと漂流し、遠く離れた小さな町に移り、結局、洞穴に住むことになり、孤立したのです(19章30節)。神の民との交わりを拒んだのです。にもかかわらず彼らはこう言い続けたことでしょう、「なぜあなたがたは、自分が教会であって、私たちはそうではないと言うのですか?」と。もし彼らが教会であるなら、洞穴から出て来て神の民と交わるべきです。彼らの持っているのは洞窟の生活で会って、教会生活ではありません。

 

 

3 酩酊状態での決定

娘たちは主に求め、祈らず、子孫を得ることを願い、自分たちの力で実現することを願いました。そこで父ロトに酒を飲ませ、酔わせて、父と寝て、子孫を得ることを求めました。ロトは酒を飲み、自制心を失うまで飲みました。自分が何をしたかも気づかないほど酩酊し状態になり事を行ない、事を決定したのでした。彼は命の感覚を失ってしまいました。ロトの家族には、正当に妻の機能がなく、その結果、罪深いものをもって失われた命の機能に置き換えられました。これも今日のクリスチャンの状態です。この世の方法を用いて空隙を満たそうとします。これでは神の目的を成就する正当な「イサク」を生み出すことはできません。彼らは霊的近親相姦と言うこの世の手段で「モアブ人(「父から」の意」)や「アンモン人」(妹が産んだベンアミは「私の近親の子」に意で、アンモン人の先祖)の子孫を生み出します。ロトの娘たちは道徳感覚を失い、この世の流れに麻痺させられ、成功を考えるだけで、手段など顧みませんでした。

 

 

 

適用

魂を得るためなら、どんな手段を使ってもいいと考えるクリスチャンはロトの娘たちと変わりません。私たちがなす霊的な近親相姦は、不法の働きであり、そこで生み出される子どもは神の民にとって大きな損害となります(民25章)しかし計り知れない神の憐れみがモアブ人やもめルツを神の民の群れに加えただけでなく、キリストの系図の中に入り、キリストの先祖としました。神のあわれみは、私たちが神と神の民を追い求めるのを待っています。モアブにとどまるのでなく、ユダに向かったルツのように正しい場所に立つことを求めなければなりません。たとえ不義の子でさえ主の十字架の贖いを通して、キリストの受肉にあずかることができるのです。

 

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