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「神の約束 子孫と土地の継承」

5 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。7 主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」

私たちの人生の目的は、神を表現すること、そのために復活の主の霊を心の中に宿してキリストを表すことです。それが子孫と土地を継承する目的です。

1 アブラハムの義とされた信仰

しかしアブラハムはそれを理解できませんでした。彼は言います、「わが神、主よ。私に何をくださるというのですか。私には子どもがありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです」(15章2節)。「ご覧のとおり、あなたは私に子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています」(3節)と。すると主は言われます、「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ」(4節)。そう言って「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(5節)と約束されたのです。アブラハムは主を信じ、これにより彼は義とされました。この子孫を持つことは、内側の事柄でしたが、アブラハムはこれを外側の事柄と勘違いしたのです。エリエザルは、彼からのものでなく、外側のあるものでした。アブラハムが義とされたのは、神が彼の中に何かを造り込んで、子孫を生み出すと信じた信仰によってでした。今日、多くのクリスチャンは、神は自分のために外側のことをなすことができ、健康、いやし、成功をもたらすことができると信じます。それは、神の目にはそれほど貴い信仰ではありません。彼が得た財産は、何一つ神の目的を成就するものではありませんでした。

2 神の目的を成就するもの

神の御心にかなったものは、子孫と土地でした。第1は、神の目的は、神の主権を代行する民を持つこと、しかしアブラハムには子孫がありませんでした。子孫がなければ神の民を持つことはできません。そこで彼はダマスコ出身の僕・エリエゼルに頼りました。それは自分が年老いて、妻もまた機能を失っているので子孫は自分に与えられている者の中で決めねばならない、と考えたからです。しかし神は私たちが持っているものの中の何かを用いようとは考えていません。私たちが持っているものは何であれ神からのものでなく、ダマスコからのものです。 では神が造り込んで、生み出す子孫とは何でしょうか。ガラテヤ書第3章は、「この『子孫』とは、キリストのことです」とあります(ガラ3章16節)。私たちの持っているものは何一つキリストを生み出すことはできません。教育、学識、熟練などすべてエリエザルであって、子孫としてのキリストを生み出すものではありません。神の目的が成就されるには、私たちの中にキリストが造り込まれなければなりません。こういう訳でパウロは、彼の中にキリストが生きておられること(ガラ2章20節)、キリストが彼の中に形づくられること(ガラ4章19節)、彼にとって生きることはキリストであること(フィリピ1章21節)を告げたのです。パウロがサウロであったとき、彼らが得たものはすべてエリエザルです。それらをすべて糞土の如きものとして捨て去らなければならないと主はパウロに告げたのです。 第2は、神の目的を成就するために土地が必要でした(創15章17-21)。土地は、神の民が住み、生活する場所で、アブラハムの時代は、神の敵が打ち破られた場所、神が御自身のために住まいを持つことができた場所です。それは、今日の私たちにとって、私たちの中に生きておられるキリストです。キリストが私たちの中へ子孫として造り込まれ、土地としてのキリストの中に生きることです。そこでは悪霊と交わりを持っていたすべてのものが葬られる場所です。これは、今日、教会でもあります。なぜなら教会は、キリストの拡大だからです。教会を通して、私たちはキリストの中に、キリストの上に生活します。それは、カナンの地です。

適用

このように、子孫と土地はキリストです。キリストを信じ、信頼するだけでなく、心の中に絶えず生きるキリストを宿すように、神のみことばをもって満たし、内側をご聖霊で満たすとき、豊かな人生を享受することができるのです。


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