「ロトの救出」
14 アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した。15 夜、彼と僕たちは分かれて敵を襲い、ダマスコの北のホバまで追跡した。16 アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻した。」17 アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来たとき、・・・サレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。19 彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されますように。20 敵をあなたの手に渡されたいと高き神がたたえられますように。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。
序
創世記第14章は、4人の王の一団と5人の王の一団との戦いが述べられています。結局、5人の王は4人の王に打ち破られました。人の立場から見て、どの戦いも良くはありません。しかし、実は、この戦いはロトとアブラハムのための戦いであったのです。特にアブラハムのためには良かったのです。
1 ロトの敗北
ソドムでその戦いはおもに起こりました。それは、そこに神の民ロトが住んでいたからです。その戦いが起る前、ロトは伯父のアブラハムと別れました(13章11節)。ロトが4人の王たちに打ち破られた原因は、2つの敗北によるものでした。
第1の敗北は、ロトの家畜を飼う者たちがアブラハムの家畜を飼う者たちと争っており、アブラハムがロトに土地の選択を申し出た時に起こりました(13章)。ロトは、アブラハムに選択をまかせるべきでした。しかし彼は反対に、自分で選択して自分の道を行きました。これは最初の敗北です。
第2の敗北は、ソドムに向かったことです。ロトは、アブラハムと別れ、下り坂へ踏み出し、ソドムの方へ向かいました。神の目にはその町は邪悪で罪深い町でした(13章13節)。ひそかにロトはその事を知っていました。ソドムから遠ざかるべきであり、そちらに向かって歩き出すべきではありませんでした。これは敗北でした。神の民はそのような町に住むべきでなく、そのようところで生計を営むべきではないのです。これは神の計画とは断じて違います。ですから神の主権の下で、エラムの王が先に立ってソドムを攻撃したのです。神はその戦いが起ることを許されたのです。4人の王は5人の王と戦いました。数からいえば5人の王の方が多いので勝つはずですが、4人の王が5人の王たちを打ち破り、ソドムの町は取られました。この戦いは、神の民の一人のための戦いでした。ロトはソドムに住んでいた時、平穏でしたが、神は平穏ではありませんでした。神はロトがそこに平穏に滞在することを許そうとはされませんでした。こうしてロトは家族と、持っていた財産をすべて連れ去られたのでした。これは神の裁きではなく、生ける神を内側に持つための剥ぎ落しです。
2 メルキゼデクのとりなし
逃げ延びた一人の男がアブラハムの下に来てロトが捕えられたことを告げました。これが偶然ではありません。この男が逃れてきたのは、神の主権による保護でした。その背後にサレムの王メルキゼデクのとりなしがあったからです。アブラハムは、ロトの誤った選択を非難せず、苦難と災難を喜ばず、逆にロトのために戦おうと果断の決意をしました(14章14節)。アブラハムは318人を率いて、4人の王とその軍隊と戦いました。少数部隊で、素人のアブラハムがどうやって戦いの専門家と戦い、勝利したのでしょうか。それはアブラハムが神に信頼したからです。また、メルキゼデクのとりなしの結果であったに違いありません。神はアブラハムを召しだした時、力も与えました。敵は逃げ去りました。こうしてロトとその家族は救われ、財産を取り返してもらったのです。メリキゼデクとは誰でしょうか。彼はキリストの予表です。勝利を得たアブラハムをサレムの王メリキゼデクがパンとぶどう酒をもって出迎えました。キリストは、罪を顧みるだけでなく、パンとぶどう酒を供給するお方です。このように地上の場面の背後に、とりなしが進行しているのです。大祭司キリストはいまでも天で私たちのためにとりなしておられます(ヘブル7章25節)。主のとりなしは私たちを覆い、恵んでくださいます。
適用
このように私たちがすべての王をほふった後に、キリストは突然、現れます。メルキゼデクの祝福に対して、アブラハムは彼のすべての物の10分の1、彼のえりすぐりの戦利品の10分の1を与えました。私たちに勝利がなければキリストにささげる物は何もなく、彼の偉大さを明らかに示すことはできません。こうしてアブラハムの勝利は不正な環境を正し、全ての状況を平和にしました。真の平安をもたらしたのです。私たちはサタンと悪霊たちに勝利する力を持つことです。それはとりなしてくださるキリストを信じ、信頼する生活と信仰によるのです。「あなたがたは世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16章33節)と主イエスは言われています。