「行く先も知らずに」
ヘブライ11章8~10節 「8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。10 アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。」
序
聖書の最初の書である創世記は、神様のご計画を告げています。もし私たちが神様の御計画に従うならば、私たちの思いには力があり、言葉にも力がありますから、願うことはその通りになります。
1 救いは召し出されること
神はアブラハムを永遠の過去に選び、あらかじめ定め、2度召し出しました。最初はメソポタミヤ地方のカルデアのウル(「光」の意)において、神は「私が示す地に行きなさい」と命じたのでした(使徒7章2節)。ウルは悪鬼どもの満ちていた地で、2つの大きな川に取り囲まれた、悪鬼に閉じ込められていました。これは私たちが救われる以前の状態で、私たちはみなカルデアにいました。救われるとは、単に福音を聞いて、うなずき、自分が罪人であり、主イエスを信じ、告白することだけではありません。これは正しいのですが、真に救われるとは、私たちの背景、環境から召し出されることです。救われるとは召し出されることです。しかし彼がその召しを受けなかったので、兄弟のハラン(「干からびている事」の意)をウルで取り去り、神様は家族をカナン地方に向かわせ、ハランにとどまらせました。 いつになっても神の召しに従わず、滞在し続けたアブラハムに対して神は、父テラ(「ぐずぐずする事」の意)を取り去ったのです。そこで2度目の召しがありました。最初の召しは、国と親族からでしたが、第2の召しでは「父の家」からも離れるように告げられました。これは、妻以外誰も連れて行かないことですが、アブラハムは甥のロトを連れて行ったのです。神様は召し出し、使命感を持たせるだけでなく、事柄を実現する力をも与えて下さいます。私たちを造り変えて、ビジョンを実現する力を与えて下さいます。そのためにはバベルを離れなければなりません。肉を削ぎ落とし、神様の指示に従わねばなりません。思い描いた通りのビジョンが成就するためには、神聖な考えで満たされねばなりません。そのために罪を悔い改め、十字架の下に身を置き、主イエスの血潮で贖われなければなりません。十字架に死に、甦り、天の御座に立ち、聖霊の満たしを受け、神様の語りかけを聞く必要があります。神様はアブラハムにこう語りかけました。「あなたは生まれ故郷を、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(創12章1節)。彼から「大いなる国民」を作り、祝福すると約束されました(創12章2節)。
2 約束の地への旅路
救われるとは、旅をすることです。救われるとは、地獄から天国に行く資格が与えられるという事柄だけではなく、あなたの背景から召し出されることです。救われるとは、神の目的に従って召されることです。神は計画と目的を持っておられ、私たちは入るべき「良き地」を持っています。あなたのカナンはどこでしょうか。そのゴールは、第1にキリストです。第2に、教会です。神の召しの中で神ははっきりと、アブラハムに離れなければならないものを告げましたが、どこへ行くべきかははっきり告げませんでした。ハランから南下して、カナン地方に入り、シケムと呼ばれる場所に到着しました。そこには樫の木があり、その木は堅い木で力を表徴します。太陽の熱を遮り日陰を与えます。これは私たちに力と日陰を与える教会生活を表徴しています。神は「この土地」をアブラハムの子孫に与えるのです(創12章7節)。神はアブラハムに「私の示す地」に行きなさい、と言われただけで、どこであるかを言いませんでした。しかし、ここではっきりとその地がどこであるかを告げ、それが子孫に与えると約束されたのです。良き地は、信仰をもって神の導きに従うときに必ず与えられます。ここで彼は祭壇を築きました。
適用
神は彼に更に広大な土地を与えました。彼は、ヘブロン(「交わり」の意)のマムレで第3の祭壇を築き、天幕を張り、神との交わりを持ちました。こうして彼は力が与えられました。召し出されただけではありません。ビジョンを実現する力が与えられました。何をすべきか、どこに行くべきかを示されたのです。成功する人生は、信仰によって聖霊に満たされ、神との交わりをもって導きに従うことです。必ず神様は良き地を与えて下さいます。これはアブラハムとその子孫に与えられた約束です。思い描いた通りに実現する、語った言葉通りになるのです。信仰者にはそのような言葉の力が与えられていますから、考える事、語ることにも注意しましょう。