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「鍵を持つ家令エルヤキム」

イザヤ書22:15 万軍の主なる神はこう言われた。「さあ行け、あの家令のところへ。

宮廷を支配しているシェブナのところへ。」・・・20 その日には、わたしは、わが僕、ヒルキヤの子エルヤキムを呼び、21 彼にお前の衣を着せ、お前の飾り帯を締めさせ、

お前に与えられていた支配権を彼の手に渡す。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。22わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。23わたしは、彼を確かなところに打ち込み、かなめとする。彼は、父の家にとって栄光の座に着く。24彼の父の家の栄光はすべて、彼の上に掛けられる。木の芽から葉に至るまで、また、小さな器もすべて、鉢からあらゆる壺に至るまで。

 

 

 ここではエルヤキムによって予表される神の家の家令としてのキリストが何であるかを考えます。「家令」とは、執事のことです。その奉仕は、ある種の統治であり、支配です。統制する権威すらあります。キリストに仕えるとますます統治されるようになります。具体的にどうでしょうか

 

 

1 主にある置き換え

 イザヤ書22章15節では、王の家、家庭をつかさどる執事としてシェブナについて語っています。この王の家の鍵はこの執事によって管理されていました。しかし、神はシェブナを取り除いてエルヤキムに置き変えたいと願いました。19節は「わたしは、お前をその地位から追う。お前はその職務から退けられる」と言います。神はバビロンとアッシリアの王を含めすべての諸国民の王を任命し、立てられたのですが、彼らに資格のないことは判明し、多くの過ちを犯したので、彼らを解雇し、エルサレムでさえ懲らしめと裁きの対象に含まれ、王の家の執事シエェブナもまた解雇されたのでした。神はすべての調度品と器、すべての鉢から壺までを壊し、「解雇」したのでした。神はキリストを確かなところに打ち込まれた要、つまり釘としました。その釘の上には、御自身の栄光である神の子どもたち、即ち、すべての調度品とすべての器、鉢から壺に至るまで、木の芽から葉に至るまでが掛けられました(22章23~24節)。何であれ、誰であれキリストのものでないものを、神が解雇されることをここで見ます。そしてエルヤキムに置き変えられるのですが、それはキリストに置き変えられるべきであることを見せています。 罪にある私たちを十字架につけ、キリストと共に釘づけにした時、私たちもこれまでの人生を解雇され、キリストに置き換えられたのです。よってガラテヤ2章20節は言います、「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」と。神はすべての者を、十字架で解雇されました。そしてすべての者はキリストに置き変えられつつあります。

 1960年代後半から70年代にかけて、アメリカのロスアンジェルスでは多くのヒッピーが教会に入ってきました。彼らはヘアバンドをつけ、ひげをはやし、裸足で歩き回っていましたが、主イエス様と出会い、共に歩みだした時、主の統治・支配の中に移され、祈れば祈るほど、姿替わりしました。ヘアバンドをはずし、ひげをそり、靴と靴下を履くようになったのです。主は彼らを制限し、内なる統治をもたらしました。執事であるキリストが私たちに仕える時、私たちを統治されるのです。私たちもまたシェブナからエルヤキムに置き変えられるのです。 キリストと結合するのは、キリスト以外のすべてのものを排除し、解雇し、置き換える必要がありのです。

 

 

 

2 肩に置かれたダビデの家の鍵

 神の国の予表としてダビデの家があります。その宝物倉の鍵はエルヤキムの肩の上に置かれていました(イザヤ22章22節)。今日、「神の家」は「生ける神の教会」(Ⅰテモテ3章15節)、「天の国」(マタイ16章19節)、「神の国」(ローマ14章17節)です。まだ神の国、天の国は完全に現されていません、教会が完全に形成された時、はっきりしてきます。キリストは、この家の鍵、この王国の鍵を持っておられます。その鍵はエルヤキムの肩にあります。それは大きな鍵なので肩に置かれているのでしょう。おそらく神の家の宝を保護するために厚く大きな扉がついていたのでしょう。その中身は宝であり、キリストのすべての豊富です。みことばには主の豊富が満ちています。みことばこそ「命の泉」です。私たちを渇きから救い、豊かさで満たしてくださるのです。みことばの宝物倉である聖書が開かれれば誰も閉ざすことが出来ません。しかし、主を怒らせますと戸が閉ざされて、豊かさが止まったような感覚に襲われます。ですから、造り変えられる必要があります。

 

 

適用

 主イエス様はヨハネ黙示録3章7節で、ダビデの鍵をもつ方であると言っております。イザヤ39章2節で、ヒゼキヤ王は自分が統治しているダビデの家の宝物倉をバビロンからの訪問者に見せました。

肉に従って見せびらかした為、バビロン王は来て財宝を奪いました。

みことばの宝物倉の宝に対して肉的な思いを離れる慎重さが大事です。

 

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