「砕かれることを通して知る主の復活」
序 しばしば神は聖徒たちや教会さえも砕かれます。時には外部からの攻撃や迫害という形を取り、ある時は内部の論争や不一致という形を取られます。異邦人世界に福音を宣べ伝える使徒パウロは、アジアにいる者たちはすべて、彼から離れ去ったと告げたほどです(Ⅱテモテ1章15節)これは初代教...
「三一の神に結合した勝利者」
序 信仰は、キリストが来臨し、凱旋して戻られる時、勝利者たちがキリストに会うための神聖な要求です。それはルカ福音書18章8節に基づいています。主イエスは「人の子が来る時、地上に信仰を見いだすであろうか?」と言われました。 1信仰と三一の神との接触...
「神がおられるのを信じること」
序 信仰とは、神がおられるのを信じることです。それはキリストが私の中に生きておられることを信じるならば、信じるのは私ではなくキリストが信じることでもあります(ガラ2章20節)。神をとかしている時、誰がとかしているのでしょうか?...
「信仰者の罪への神の対処」
序 1 訓練の動機と目的 訓練の動機=神の愛(黙3章19節)、対象=神の子たち(ヘブル12章7~8節)、訓練の目的(ヘブル12章10節) 神の聖に与らせるため、聖さが現れれば、神の訓練、懲らしめは止むのである。よって主の訓練は私たち神のものであることの証明である。...